国難を想い、歴史を振り返る

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みなさん、こんにちは!

木下馨です。

 

現在の新型コロナウイルスの影響は、世界を席巻する艱難ですが、歴史を振り返るとさらに過酷な出来事もあります。

今回は今一度、過去を振り返ってみましょう。

 

先月の3月は私自身の誕生月でもあるのですが、歴史的な「大きな出来事」も意外と多い月でもありますね。

「3.11」の東日本大震災ももちろんそうですが、今回は「3.10」について書いてみたいと思います。

 

「3.10」?

なんだっけ?

と思われた方々も多いと思います。

 

太平洋戦争末期の昭和20年3月10日は、「東京大空襲」の日です。

一夜にして、8万から10万人の犠牲者が出たと言われています。

単独の空襲による犠牲者数は世界史上最大で、東京の3分の1の面積が焼け野原になりました。

東京大空襲は、広島、長崎、ドレスデンと並び、多くの民間人がその標的となり、「戦争の悲劇」「戦争の悲惨さ」の代名詞と言えるでしょう。

 

アメリカ軍は、どこを爆撃すれば一番効果的か研究するために、江戸の大火や関東大震災による火災等の被害を調べたそうです。

そして、テニアン&サイパンなどのマリアナ諸島を占領すると、大型爆撃機B29をもって「日本本土爆撃」を敢行します。

 

指揮官に登用されたのは、カーチス・ルメイ将軍です。

彼はドイツで行った都市部への、いわゆる「絨毯爆撃※注」によって、ドイツ国民の士気を著しく低下させた実績を認められ、東京大空襲の指揮を取ります。

そして、東京は3月10日、一面が炎と化した夜を迎えるわけです。

※注:夜間はイギリス空軍、昼間の爆撃はアメリカ軍でした。

カーチス・ルメイは37年間軍人として生き、退役後、副大統領戦に出馬し落選。

 

戦争は悲劇しか生みません。

勝者も敗者も苦しみます。

ただし残念ながら「歴史は繰り返す」ことが多いので、人類から戦争はなくならないかもしれません。

 

「平和」を訴えながら「武器」ビジネスを拡大しているのは、国連の常任理事国です。

かつて、アイゼンハワー大統領が退任演説で引用した「軍産複合体」は、止めることができないところまで来ているのかも知れません。

第34代大統領ドワイド・D・アイゼンハワー

 

しかしながら、人類が悪くしたことは人類がよくできる、と私は今でも信じているのですがいかがでしょうか。

 

今回はここまで。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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