ロシアの歴史的動向から2022年を予測してみる

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皆さんこんにちは!
いつもありがとうございます。

2022年初めての投稿になります。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2022年も皆様にとって良い年でありますように、と思うこの頃ですが、世界的には緊迫している地域もあり、この辺りを「歴史」の観点から見てみたいと思います。

 

 

緊迫するウクライナ情勢

 

昨今、ウクライナ情勢が風雲急を告げ、報道によってはこの1月から3月までに侵攻する情勢が報じられています。
そもそもの原因は、ロシアは旧ソ連構成国だったウクライナのNATO加盟に激しい拒絶反応を示しています。
クリミアの併合と、親ロシア勢力の力が強いウクライナ東部の不安定化こそ、ウクライナのNATO加盟を阻止するロシアの戦略と言えるのではないでしょうか。

 

しかしウクライナはれっきとした独立国。
他国に干渉されるのは「言い掛り」
と言えるのではないでしょうか?

 

過去ロシアは(旧ソビエト連邦:以下ソ連)「力による介入」を幾度となく行ってきました。

 

近代の歴史を見てみましょう。
特に「共通の敵」を持つ「盟友」を持つと大胆な行動に出ます。

 

 

ソ芬戦争(第一次ソ・フン戦争:冬戦争とも言う)

 

1939年11月、ソ連(現ロシア)は突如、フィンランドに対し29日に国交断絶を宣言し、翌30日に宣戦布告なしに国境全域で侵攻を開始しました。

 

ソ・フン戦争(ソ連軍の侵攻ルート)

 

当時、ナチスドイツは9月にポーランドに侵攻。
その前月に「独ソ不可侵条約」を結びました。
この条約はごく平凡なものでしたが、独ソの結託の裏には他の何かが締結されていると、当時からささやかれていました。

 

それが、「秘密定義書」です。
実は、ソ連は「バルト三国とフィンランド、ポーランドの半分は支配下に置く」ことをこの「秘密議定書」の条約に入れていました。
ソ連のフィンランド侵攻は、密かにスターリンとヒトラーの間で締結した結果だったということです。

 

西側諸国(英米仏)はナチスドイツの対応に精一杯で、ソ連のバルト三国進駐とフィンランド侵攻に対して、反対声明は出しました(国際世論は強くソ連の侵攻に反発)。
そして、国際連盟はソ連を追放しました。
しかし、出兵までの余裕はなく、いくつかの武器供与を行いましたが、多くは翌3月の講和条約後に届いたものが多く、また旧式の武器等でした。

 

この時期、西側諸国の共通の敵は明らかに「ヒトラーとスターリン」の独裁国家でした。
歴史に「もし」は禁物ですが、デンマークやスウェーデンが英仏10万人の兵を通過することを許可していれば、今の世界勢力図は大きく変わっていたかもしれません。

 

戦死者の数を比べても明らかなように、人口約400万人のフィンランドは、3億人のソ連に対し善戦しました。
【戦死者】
フィンランド軍:27,000人
ソ連軍:20万人(フルシチョフは100万人とも)

 

フィンランドは「独立」こそ守りましたが、国土の1/8を割譲され、国民の12%は第二の都市ヴィープリを含めカレリヤ地方から追放されました。
日本に置き換えれば、丁度、東京の人口約1,200万人が土地を追われた、ということになります。

 

ここでのポイントは「同時に二ヶ所:もしくはそれ以上で」紛争を起こすと国際世論は対応ができない、と言うことでしょう。
「二ヶ所で紛争を起こす」のは、世界の目と世論を分裂させる常套手段と言えます。

 

 

ハンガリー動乱

 

1956年10月、ハンガリーで起こった大規模な民衆蜂起のことです。
当時の共産党政権ラコシ首相の独裁ぶりに反発し(男性人口の2割から3割が強大な治安機関により、無罪の罪で逮捕、拷問、流刑、強制労働などに処せられた、と言われています)反体制デモが起きました。

 

ハンガリー動乱

 

これに治安部隊が発砲し、暴動となったわけですが、後任のナジ首相は必ずソ連軍が介入してくると思い、「ワルシャワ条約機構」からの脱退を発表します。

 

ナジ首相も、それを支持した民衆もなぜ、そんな「強気」になれたかといえば、「必ず西側が助けに来てくれる」という思いがあったからです。

 

隣国、オーストリアでは、ソ連軍はオーストリアから撤退し、アメリカ軍が駐留していました。
オーストリアとハンガリーはもともと11年前までは、1つの国を形成していました。
ですから、ハンガリーもオーストリアと同様のことが起きると予測したのでしょう。

 

しかしながらアメリカ軍はびくとも動かなかったのです。
何故でしょうか?
アメリカは次にご紹介する中東に釘付けだったのです。

 

 

スエズ動乱:第二次中東戦争

 

1956年7月、エジプトのナセル大統領は「スエズ運河国有化宣言」を行いました。
このやり方に憤慨したのは、旧盟主国のイギリスと中東諸国に利権を持つフランスでした。
これにイスラエルが加わり、10月29日にシナイ半島でイスラエル軍が攻勢に出ます。

 

スエズ動乱:侵攻するイスラエル軍

 

英仏イ軍は、エジプトを降伏寸前まで追い詰めます。
しかし、ここでアイゼンハワーのアメリカが、なんとソ連のブルガーニン首相と手を組み、イスラエル軍の撤退と英仏の即時停戦を勧告したのでした。
また国際連合(国連)決議も停戦勧告を採決します。

 

アメリカは、ヨーロッパ(英仏)と中東(石油資源)、そしてイスラエルに対して影響力を行使する「政治的」な勝利を狙ったわけです。

 

また、冷戦下で、ソ連との新たな火種は避けなければなりません。
自由を求めるハンガリー民衆の声はアメリカには届かず、ソ連としてもエジプトに恩を売る形になりました。

 

まさに「大国の野望に小国が飲み込まれる」という形です。

 

第二次大戦中、アメリカの国力&軍事力はまさに「超大国」でした。
「二正面作戦」も全く可能でした。

例えば、1944年6月の「ノルマンディー上陸作戦」(オーバーロード作戦)では
・大小艦艇約6,000隻
・航空機12,000機
・6月6日だけで13万人以上の兵力で上陸
・7月中旬に130万人以上の兵力を上陸させています。

 

そして時を同じくして、太平洋では「マリアナ沖海戦」が6月19日から行われました。
・大小艦艇約5,000隻
・アメリカ海兵隊3個師団
・陸軍27歩兵師団
・航空兵力(空母艦載機約1,000機)
上記の戦力をもって、サイパン島、テニヤン島初めマリアナ諸島の占領、そして日本艦隊との戦いや上陸作戦を行い、日本軍を圧倒します。

 

何より新兵器の「レーダー」と「VT信管」(砲弾が目標物に命中しなくとも一定の近傍範囲内に達すれば起爆できる信管)など、技術でも日本軍を圧倒していました。

 

***

かつては超大国であったアメリカですが、この度、「ウクライナ」と「台湾」で有事があった場合、どのような対応ができるか全く不明です。
ロシアも中国も、もはや同等の「大国」と言えます。
「二正面」で有事が起こる確率は高いのではないでしょうか。
また、我が国はいかに対応すべきか。

 

歴史の「瞬間」は後年になって「その時」であると分かります。
かつて、ナチスドイツがフランスに電撃作戦で侵攻しましたが、パリのカフェはそのニュースが流れても若者や民衆でいっぱいでした。
5月のサマータイムを楽しんでいたわけです。

 

2022年のある日、「歴史の1ページ」が暗いページで綴られないようにしたいものです。

 

本日はここまで。
また、お会いしましょう!

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