皆さま、こんにちは!
前回は、「オオウミガラス」のお話をさせていただきました。
前回はこちらから
人類によって絶滅を早められた動物シリーズー北極ペンギン編ー
今回の動物も明らかに人間によって絶滅させられた、と言ってよい動物「ステラーカイギュウ」です。
ことの発端
そもそも、ステラーカイギュウの絶滅は「ベーリング海」の名前でも有名なデンマーク出身のロシアの探検家、ヴィトウス・ベーリングに始まったと言っても過言ではないでしょう。
ベーリングは、1741年に第二次カムチャッカ探検隊を率いて、アジアから北米への航路を探している途中の11月に遭難してしまいます。
嵐に遭遇し、遭難したところは、カムチャッカ半島沖200kmにあるコマンドルスキー諸島の無人島でした(現ベーリング島)。
乗員の多くは前回でもお話ししましたが、壊血病になっており、その半数が死亡します。
ベーリング自身もこの病気で死亡します。
その後、隊の指揮をとったのがドイツ人医師で博物学者でもあったゲオルグ・ステラーでした。
ステラー一行は翌1742年の8月に島を離れ、10ヶ月後にペトロハバロスクに到着します。
帰国したステラーは、その島で過ごしたことを克明に報告しました。
そこには各種の海獣(ラッコやオットセイ)などの他、後のステラーカイギュウと命名された動物のこともありました。
全長7.5m、胴回りが6.2mの大型で、島の周辺に約2000頭はいると報告しました。
まあ、大型の動物が2000頭しかいないのであれば、今では絶滅危惧種のレッドリストに載ると思いますが、当時はそんなことを考える人はいなかったのでしょう。
ステラーは、無事に帰国できたのは、このステラーカイギュウのおかげだと記していました。
ステラーカイギュウ一頭から約3トンの肉が手に入り、それが仔牛の肉のようだったと。
また、脂肪はアーモンドオイルのようで、ミルクはそのまま飲まれたとのこと。
脂肪はランプのオイルにも使われたと記されています。
皮も加工され、ボートを作る時にも波から守るカバーとして使われました。
乗員たちの体力が回復できたのもステラーカイギュウのおかげでしたし、そして何より、長期の脱出航海の際に乗員の保存食として重用されました。
ハンターたちの一攫千金とステラーカイギュウの性質が絶滅を加速させる
ステラーの話を聞いたハンター&狩猟者、冒険家、一攫千金を狙う毛皮商人たちがコマンドルスキー諸島を目指します。
目的は二つ。
コマンドルスキー諸島に生息するラッコを狩りに。
当時ラッコは高値で取引されましたので、彼らの獲物でもありました。
そして、一石二鳥と言わんばかりに、ステラーカイギュー狩りも行いました。
その使用目的は、主に食用、そして船の資材として皮を利用するために狩られました。
また皮下脂肪は前述したように、食用以外にオイルランプにも利用されました。
煙やにおいがなく、温暖な気候で長期保存してもカビが生えないというスグレモノのため、重宝されたそうです。
また、体は大きいが動きが鈍く、仲間が、特にメスが攻撃されるとオス等がそれを助けようとして寄ってきます。
仲間を助けようとする大型動物の心が仇となり、人間にとって狩は非常に楽だったようです。
ただし、数トンあるカイギュウを当時の人力では浜辺に上げることはできず(リフトがある訳でなく)、波に任せて打ち上げられるまで待ったようです。
しかし、そのまま沖に流される個体もあり、効率的ではなかったと語られています。
ジュゴンやマナティの仲間であろうこの大型動物は、このコマンドル島にいたのが唯一の個体群であったのですが、ステラーが発見してから27年後に(乱獲の割には比較的長い年月かと)最後の個体が殺され、それ以降の発見は公式にはありません。
1年以上の妊娠期間で一頭しか産まないという繁殖力の弱い大型の海獣であり、かつ、2000頭となれば、いずれは絶滅の道は逃れられなかったかもしれません。
しかしながら、この海獣も「人間の口」と「人間の欲」に適合してしまったのが、悲劇の始まりであり、人間の貪欲なまでの物欲のためにその生存期間を短くされた、と言っても過言ではないでしょう。
ちなみに、目撃情報として最も新しいものでも今から59年前、1962年ベーリング海で見知らぬ大型の海獣が数頭泳いでいるのを目撃したことが報告されていますが、他の海獣であったかは不明のままです。
本日は、ここまで。
次回、このシリーズの最も有名なお話をさせていただきましょう!
ありがとうございました!!