二人の「歴史の証人」〜木下が尊敬する写真家:ロバート・キャパと沢田教一 (前編)

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皆さんこんにちは!
木下馨です。

 

私が歴史好きなのは、これまでのブログ等で知っていただいたと思います。
今回は、「歴史の瞬間」を撮り続けた二人の写真家についてお話ししたいと思います。

まずはロバート・キャパから参りましょう。

 

ロバート・キャパ

彼を初めて知ったのは、学生時代に文庫本で『ちょっとピンぼけ』を読んだところから始まります。

 

この本との出会いがキャパとの出会いでした

ハンガリー系ユダヤ人であった彼の半生は、あまりにも強烈です。
その人物の生い立ちは割愛しますが、アメリカの「LIFE」誌に掲載された写真「崩れ落ちる兵士」によって一躍、世界的に有名となります。
これは、スペイン内戦で銃弾に倒れる兵士を捉えた作品として知られています。

 

キャパは、パリを拠点にし(この本でパリに興味が湧きました)、同じ写真家で恋人のドイツ系ユダヤ人:ゲルダ・タローとの関係が、興味をひきました。

彼女の本名は「ゲルダ・ポホリレ」。
このタローとは、当時(1930年代)パリで親交のあった岡本太郎にちなんで「タロー」と名乗ったとされています。
近年の研究では、「崩れ落ちる兵士」も、恋人のタローの撮影であると指摘もされています。

 

彼が最も輝いたのは「ノルマンディ上陸作戦」、いわゆるオーバーロード作戦で、オマハビーチに上陸した1944年6月6日、その歴史的な作戦に従軍し、最大の戦死者を出したオマハ・ビーチにてドイツ軍の砲撃の中、100枚以上の写真を撮影したことでしょう。

 

しかしながら、この特ダネに興奮したスタッフが、現像時に多くのフイルムを過熱しすぎて11枚、または一説には8枚しか残らなかったそうです。
これが本のタイトルにもなった
「ちょっとピンぼけ」(原題;SLIGHTLY OUT OF FOCUS)になりました。

 

キャパが写真に捉えた「ノルマンディ上陸作戦」

 

この写真の凄いところは、兵士を前から撮影しているところです。
つまりキャパは、より、ドイツ軍側に近いところから海の方向を向いている、というところです。
命知らずというか、無謀というか。
彼の生き様がなし得た1枚であると思います。

 

ちなみに、このオマハ・ビーチは、上陸地点で最も多くの死傷者がでた激戦地で、映画「プライベート・ライアン」の冒頭シーンを記憶されている方も多いことでしょう。

 

また、彼はヘミングウエイやピカソ、イングリッド・バーグマンとも親交を温め、撮影&作品も多くありました。
バーグマンとは恋仲でありましたが、結婚までは至らず別れています。

 

彼がパリから約80Km離れているシャルトルで撮った写真もまた、私の記憶に残りました。
占領下で、ドイツ軍に協力したとされる女性が、丸刈りにされ市中を歩かされ、辱めを受ける写真です。

 

 

戦争は正義が悪を作り、また狂気にしてしまう最も悲惨な行為なんだと、この写真は訴えている気がしました。
後に『丸刈りにされた女たち』(藤森晶子著)という本も読ませていただきました。
これも推薦しておきます。

 

 

キャパは第二次大戦が終わると、次なる戦場へ向かいます。
イスラエルの建国、それに伴う第一次中東戦争、そして第一次インドシナ戦争の取材で北ベトナムを訪れます。
そして、1954年5月25日、午前7時にホテルを出発し、フランス軍の陣地に向かいます。
午後2時30分ころドアイタンに到着。
フランス軍の示威作戦へ同行取材中の午後2時55分、ドアイタンから約1キロの地点にある小川の堤防に上った際に、地雷に抵触、爆発に巻き込まれて死亡しました。

 

時にまだ、40歳の若さでした。

 

彼は「平和の時代」では、生きていくのが難しい人であったと思います。
戦場にいるときは「こんな生活はいやだ。生きて帰りたい」と思うのですが、いざ平和な生活になると周囲の環境や家庭に馴染めず、また戦場に赴く兵士に似ていると思います。

 

波乱の時代には、普通では考えられないヒーローが誕生します。
彼の写真は、今後、100年経っても人々の記憶に残ることでしょう。

 

本日はここまで。
後編は沢田教一をとりあげます。
ありがとうございました。

 

木下の蔵書にもある写真集。表紙がスペイン内戦で撮られた
「崩れ落ちる兵士」

 

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