皆さんは志摩定一選手と東門明選手を知っていますか?

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皆さんこんにちは!
木下馨です。

 

前々回と前回で「甲子園の左腕投手」平成版と昭和版をお伝えさせていただきました。

【前々回と前回はこちら】

夏の全国高等学校野球選手権大会;独断と偏見で選ぶ左腕投手ベスト3 (平成版)

夏の全国高等学校野球選手権大会;独断と偏見で選ぶ左腕投手ベスト3 (昭和版)

 

 

今回お話しする志摩定一(しま ていいち)選手と東門明(とうもん あきら)選手のお名前にピンッ! と来た方は、大の高校野球ファン、大学野球ファンと言えるでしょう。

 

 

高松商業高校の『志摩供養』の由来となった志摩定一選手

 

「四国四商」と呼ばれている強豪校&伝統高はご存知でしょうか。
香川:高松商業
愛媛:松山商業
徳島:徳島商業
高知:高知商業の各高校です。
最近は私学の台頭や進学等、選手の選択肢は多岐にわたっていますので、上記の学校も甲子園に毎回出場することは難しくなってきています。

 

しかしながら、歴史のある上記4商のような学校には数々の「伝統」が残っているものです。

 

高松商業高校は、地元;高松の方々から「たかしょう」の愛称で親しまれ、プロ野球界でも水原茂さんや牧野茂さんなど殿堂入りの方々も輩出しています。
その古豪高の伝統が『志摩供養』です。

 

1924年、第1回選抜高校野球大会で優勝を果たした同校の主力に、志摩定一選手がサードを守っていました。
決勝の早稲田実業(東京)戦では6番サードでフル出場を果たしています。
その志摩定一選手はセンバツ以前から肺を病み、その年の冬に世を去りました。
「自分は死んでも魂は残って、三塁を守る」
との遺言に従った後輩たちが始めたのが『志摩供養』です。

 

どういうものかと言うと、オールドファンにはお馴染みの光景ですが、初回の守備に着く前、ベンチを含む全員が三塁ベースを囲んで円陣を組み、主将が水を吹きかけ、黙祷するというものです。

 

志摩供養。ベンチの全員で三塁前に集まる伝統的な儀式

 

しかしながら1978年、時の高野連は、「遅延行為及び、宗教的行為にあたる」として中止勧告を行いました。

 

皆さん、どう思いますか?
純粋な慰霊行為のどこが「遅延行為と宗教的な行為」になるのでしょう。
毎年、8月15日の試合中に全員黙祷を行なっていますが、あれは「遅延行為&宗教的行為」ではないというのでしょうか。

 

まあ、その議論はともかく、現在では少し柔軟になり三塁手がベースの前にひざまづいて左手を添え、黙祷することは許されています。
(地方大会では今まで通りの儀式を行なっているようです)

 

甲子園で志摩供養をする高松商業高校;石丸三塁手

 

高松商業高校の試合を見るようでしたら、思い出してください。

 

 

試合中のアクシデントにより死亡した東門明選手

 

東門明(とうもん あきら)選手は早稲田大学の内野手で、2年生の春にレギュラーを取り、1972年、第一回の日米大学野球選手権大会に早稲田大学からただ一人選出されます。
当時の6大学野球では、荻野友康投手(土佐高校)、山下大輔内野手(清水東高校)の慶應大学が四連覇。
長崎慶一外野手(北陽高校)、山本功児内野手(三田学園)の法政大学も強く、早稲田大学は低迷していた時期でした。

 

その日米野球第2戦。
東門選手は、7回に代打で登場し、三遊間へのヒットで出塁します。
1死後、藤浪行雄外野手(静岡商業〜中央大学)の二塁ゴロの際、米国代表のアラン・バニスター内野手の送球を頭部に受けてしまいます。

 

東門明内野手

 

当時は、ダブル・プレーを防ぐため、内野手に向かって行く、あるいはボールに向かって行くプレーが一般的であったと思います。
東門選手も怯むことなく、ボールに向かって行ったのでしょう、それが事故を生みます。

 

ヘルメットはしていたのですが、それをかすめ右側額にもろにぶつかります。その時点では意識もあったのですが、その後嘔吐したことから、試合をしていた神宮球場近くの慶應病院に搬送されます。
結果、右側頭骨骨折による頭蓋内出血および脳挫傷と診断されます。
そして、治療の甲斐もなく、5日後の7月14日11時35分、19歳で死去しました。

 

早稲田大学で行われた「お別れの会」では、バニスター選手は東門選手の両親の前で長く頭を下げていたそうです。

 

東門選手が代表メンバーとして着用していた背番号13は、日米大学野球選手権日本代表の永久欠番となり、早稲田大学野球部でも、東門選手の背番号9はこの後、永久欠番となりました。

 

皆さんはこのお話をどこまで知っていたでしょうか。
決して風化させていけない事柄だと思いますが、いかがでしょう。

 

個人的な意見を言わせていただければ、伝統ある早慶戦などで、東門選手を決して忘れないようなセレモニーを毎回行って欲しいと思います。
そして、このような事故を決して起こさない、東門選手の悲劇を忘れないためにも、早稲田大学の関係者の皆様には何か考えていただきたいと思います。

 

***

甲子園の交流試合も終わり、酷暑も終わる時がくるでしょう。
しかし、忘れては決していけないことも。

 

本日はここまで。
ありがとうございました。

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