時事問題

映画に見る核戦争の危機〜名監督の映画セレクト3選〜

皆さん、こんにちは!
木下馨です。

 

前回は、「そこにある核戦争の恐怖」をお話させていただきました。
前回はこちらから
本当はたくさんあった?! 過去に回避できた核戦争の危機
今回は、映画でその「偶発的な恐怖」を描いた映画の名作を紹介しましょう。

 

「名監督」というのは、いろんな判断があると思いますが、私はその1つの要素に「時代が変わってもテーマが通用する」作品を作ることにあると思ってます。

 

例えば、黒澤明監督は『天国と地獄』では「格差問題」、それに伴う犯罪など。
『静かなる決闘』では、自身の過失ではないのに、罹患した性病がテーマでしたが、感染症やエイズへの警鐘とか。
フランシス・コッポラ監督は『地獄の黙示録』では、人間の狂気、戦争の残酷さ、『ゴッドファーザー』では家族愛や絆、それに対する代償など、極端な背景から映画化しました。

 

では本題に入りましょう!

 

 

博士の異常な愛情

 

スタンリー・キューブリック監督が描く「ブラックコメディー」ですが、その内容は、極限状態の中で、現場の司令官が異常をきたしソ連への爆撃命令を出す、といういつあってもおかしくない状況が描かれています。

 

主演のピーター・セラーズが三役をこなしています。
一人目が、イギリス空軍将校マンドレイク大佐。
二人目が、マフリー大統領(俗語のMuffは間抜け、へま)、つまり、そんな大統領だというブラック。
そして、三人目の役が、映画のタイトルの「博士」であるストレンジラブ博士です。

 

ピーター・セラーズが演じた「ストレンジラブ博士」

 

 

政府や軍人は、「こんな人間が指導者か?」という描かれ方をしてますが、現在の米国大統領選挙などを見ていると、「当たらずと言えども遠からず」の状況ではないかと思います。

 

「偶発での戦争」は中国とインドや、イランとイスラエル、韓国と北朝鮮に限らず、どこで起こってもおかしくないと言えるのではないでしょうか。

 

『博士の異常な愛情』の最高作戦会議室

 

 

この映画のテーマから、アメリカ軍が協力するはずもありませんでしたが、B-52の機内セットは、B-29とB-52の写真からセットを制作したそうです。
後にアメリカ空軍幹部がセットに招待されたときに、「本物そっくりだ」と語ったそうです。
映画好きなら知っていることですが、ソ連のミサイル基地に最後の一機として爆撃に成功するB-52のクルーの一人は、後に『スター・ウォーズ』で「ダース・ベイダー」の声を担当するジェームズ・R・ジョーンズが演じています。

 

映画は1964年に公開され、半世紀以上過ぎていますが、世の中の危険・危機は「ブラックコメディー」では済まない状況になってきています。

 

 

未知への飛行

 

『十二人の怒れる男』などの名匠:シドニー・ルメット監督が、同じく1964年に制作した「偶発的核戦争」を描いた作品です。
時を同じくして、まったく異質な監督二人が同じようなテーマを採用したのは、やはり1962年の「キューバ危機」の影響が大きかったと思われます。

 

『未知への飛行』は「コンピュータの誤作動」が起こり、B-58爆撃機(アメリカ空軍が開発した高速爆撃機)がモスクワに向かう、というもの。
アメリカ大統領(ヘンリー・フォンダ)が、ソ連首相とホットラインでやりとりして危機回避を狙いますが、最後にはモスクワに水爆が投下されてしまいます。

 

『未知への飛行』のB-58操縦席

 

 

この攻撃が「誤爆」であるということをソ連に信じてもらうため、戦争回避を願う大統領は、「全面戦争」を避けるため奇策を打ち立てます。
「誤爆」の代償として、アメリカ空軍に、ニューヨークに水素爆弾による爆撃を命じるのです。
その時、偶然にも大統領の家族はニューヨークを訪れていた!!

 

機械の故障、誤った指示は現在でも起こりえる問題でしょう。
それはサイバー攻撃や、ウイルスの攻撃でも起きるかもしれません。

 

『可愛い魔女ジニー』や『ダラス』で演じたラリー・ハグマンが通訳で出演しているのは、映画好きには記憶にあるところでしょう。

 

 

ウォー・ゲーム

 

1983年のアメリカ映画です。
マシュー・ブロデリック演じるパソコン少年が偶然、アメリカ国防省の軍事コンピューターをハッキング、単なるシミュレーションゲームと勘違いしてプレイしてしまったために、核戦争の危機を迎えることになります。

 

この「ありえなさそう」な設定は、突拍子も無い話ではなく、現在では「ありえる」の連続かもしれません。
この80年代より、驚くべきほどの速さでネット社会は拡張しています。

 

マシュー・フロデリック主演の『ウオー・ゲーム』

 

 

ハッキングやパソコンウィルスが身近になった今の時代、最も警戒すべきはリアルな「ウォー・ゲーム」でしょう。

 

この話も単なるSF映画とは言えないほど、現実は緊迫していると思います。
各国は「サイバー部隊」を充実させています。

 

その一部の人間が、ちょっとゲーム感覚でしたことが「偶発戦争」になる可能性も否定できないでしょう。
『八月の砲声』がネット社会で起こることがあるかもしれません。

※ 八月の砲声:バーバラ・タックマンが第一次世界大戦の記録を基に、2年半の歳月を費やして書き上げたピューリッツァー賞受賞書籍。それを、ネイサン・クロル監督が膨大な資料を集めて制作・監督したドキュメンタリー映画。

 

 

***

「世界終末時計」の名前は、皆さんもどこかでお聞きになったこともあるかと思います。
「世界終末時計」とは、核戦争などによって人類と地球の滅亡を午前0時に設定し、その終末までの残り時間を「0時まであと何分」という形で表示している時計です。
1947年に、アメリカの『原子力科学者会報』の表紙に示され、現在でも都度、修正が行われています。

 

1947年には「7分前」でスタートしました。
2020年の現在、何分前になったでしょう?

答えは「100秒前」です。
その時計を止めることが果たして我々に。。。

 

本日は、ここまで!
また、お会いしましょう!!!!

インディ500マイルレースで佐藤琢磨選手が優勝して思うこと〜ホンダの軌跡〜

皆さんこんにちは!
木下馨です。
まだまだ暑い日が続き、地域によっては台風など今後も心配な時期が続きますね。
災害に見舞われた地域の皆さまの復興を、心より祈念しております。
そして、そのほかの地域の皆さまも、できうる限りの備えや防災をご準備されますように。

 


今回は、話題をモータースポーツにしたいと思います。
世界三大レースであるインディ500マイルレース(あとの2つは、「F1」と「ルマン24時間レース」)で、日本人レーサーの佐藤琢磨氏が、8月23日に行われた決勝で見事優勝しました!
彼は、2017年に続いての快挙となり、日本でも多くの報道機関が伝えました。

 

優勝して牛乳を飲む佐藤琢磨選手。インディ500の勝者は伝統的にミルクで祝杯を上げます。

 


日本のマスコミは「日本人が優勝」した、という時には大きく報道しますが、もっと素晴らしい「快挙」であることを伝え切れていないので、お伝えしたいと思います。

 


彼が乗ったマシンは「ダラーラ・ホンダ」というマシンです。
ダラーラは、イタリアに本拠地を置くコンストラクターです。
※ 設計&組み立てを主に行う企業のこと。エンジンとシャシーを全て提供しているのはメーカーと呼ばれます。代表的なメーカーはフェラーリでしょうか。

 


エンジンはホンダが提供しているわけですが、なんと、2005年からの15年間で12回もインディ500を制しています。

 


つまり、ホンダエンジンは、その優秀性を世界で遺憾無く発揮しているわけです。
欧米では「モータースポーツ」が定着していますので、ホンダエンジンの優秀性は、ホンダが大切にしている市場の大きいアメリカにおけるvisibilityアップに、確実に繋がっていると思います。

 


一部のレースファンならご存知かと思いますが、この快挙やホンダの世界的な立ち位置は、一般の人たちにはあまり報じられていないのではないでしょうか。

 


そんな「ホンダ」ですが、ホンダとレースとの間には、歴史の厚さとホンダの決意が存在していると言えます。
創業者;本田宗一郎氏は、町工場の頃から「世界」を目指していたと言われています。
つまり最初から目標がはっきりしていたわけです。
ホンダは世界を目指していたからこそ、現在も世界から認められる自動車会社になっているのではないでしょうか?

 


ちなみに「日産」はどうであったか。
私が思うに、彼らは世界ではなく、「トヨタ」をみていたのではないでしょうか?
この「目線の高さの違い」が、今の日産の現状だと思いますが、いかがでしょう。

 


さて、ホンダに話を戻すと、
「世界」に打って出るホンダは、まずは二輪で、もっとも過酷と言われた「マン島TTレース」に1959年から参戦しています。
※ 「マン島TTレース」では過酷さを立証するかのように、現在まで、239名のドライバーが亡くなっています。

 


そして、F1の世界にも飛び込んでいきます。
1961年からエンジン開発を始め、当初はロータスがエンジンを載せるはずが最終的には断られ、やむなくシャシーも自前で作る「メーカー」として参戦します。

 


そして1965年の第10戦のメキシコグランプリで、“リッチー”・ギンサーがドライブする1500CCエンジンのRA272が初優勝します。

 

リッチー・ギンサー選手

 

実車でのリッチー・ギンサーとリッチー・ギンサ選手

 


これは歴史的な快挙と言って良いと思います。

 


まだ、敗戦から20年しか経っていない東洋の島国の弱小自動車メーカーが、なんと、20世紀初めより行われている由緒ある自動車レースでその名を刻むことになりました。

 


幼心に、木下がモータースポーツに興味を持ったのは、この優勝した車体を正確にプラモデルにした「タミヤ模型」のおかげかもしれません。
当時、プラモデル少年でありましたので、頻繁に多くの悪童たちと”模型屋”に入り浸っていました(限られた小遣いの中でのやりくりでした。なので、買えなくても見に行っていました。お店は嫌だったでしょう(ニッコリ))。

 

子どもの頃、欲しいと思ったが買えなかったタミヤ模型のホンダF1(リッチー・ギンサーモデル)1/18 RA272

 


そこで大人たちが、子どもには高嶺の花の金額の、このF1模型を購入していたのを何度も見たものです。

 


そこから自動車レースにも興味を持ちますが、もちろん当時は、衛星中継があるわけではなく、またネット配信なんかはSFの世界ですから、かなり時間差があっての情報確認でした。

 


その後、1967年のイタリアグランプリで、ジョン・サーティスが優勝しこの年のコンストラクターズランキングでも、年間4位につけ第1期の最高成績となりました。

 

イタリアGPでチェッカーフラッグを受けるホンダマシーンのジョン・サーティス(左)2位のジャック・ブラバムに0.2秒差の優勝でした(右)

 


その後ホンダは一度、F1から撤退します。
しかし、1980年代のウイリアムズ・ホンダとしての活躍、アイルトン・セナの人気など、現在に至るまで紆余曲折はありましたが、モータースポーツ界でホンダは日本より世界で、その名を轟かせているのではないでしょうか。

 

 

その間、トヨタはルマンレースに力を入れています。

 


モータースポーツは、特に欧米では「文化」と言って良いでしょう。
現在も含め今後、自動車業界は大きな変革の時期に来ているのでしょう。

 


近い将来、レースにおいても水素エンジンや電気自動車で、その技術が競われるかもしれません。
その時に、日本の自動車会社は生き残ることができるか。

 


ぜひ、技術の向上に努め、世界をまた、あっと言わせて欲しいものですね。
本日はここまで。
ありがとうございました!