歴史

限界を超える挑戦の先にあるもの

皆様、こんにちは!
木下馨です。

 

前回では、アメリア・イアハートを取り上げました。
前回のブログはこちら
アメリア・イアハート〜南の海に消えた伝説の女

 

彼女は間違いなく「空の英雄」と呼ばれる女性飛行士でしょう。
私の独断と偏見ですが、空の英雄を3人挙げろと言われれば、
●チャールズ・リンドバーグ(1927年に、ニューヨーク〜パリ間の大西洋単独無着陸飛行を達成)
●前回のアメリア・イアハート(1932年に、女性飛行士で初めて大西洋単独無着陸飛行を達成。南洋諸島で行方不明)
●そして今回お話する、チャールズ・エルウッド・”チャック”・イェーガーです。

 

なぜ彼が、英雄なのか?
彼は人類で初めて、公式記録において「音速」を超えた人物だからです。
彼は第二次大戦ではエースパイロットとして活躍、一度の出撃で5機のメッサーシュミットBf109を撃墜した経験もありました。

 

彼は、戦後、創設されたアメリカ空軍のテストパイロットになります。
1947年10月14日、実験機「ベル-X1」に搭乗し、高度1万メートル以上の水平飛行で「マッハ1.06」を記録、人類初の有人超音速飛行を成し遂げました。
時に、通算50回目のベル-X1での挑戦でした。
現在、この機体はワシントンのスミソニアン博物館(国立航空宇宙博物館)に展示されています。

 

ベル-X1と乗り込もうとするチャック・イェーガー

 

機体に書いてあるのは、妻の名前にちなんで”グラマラス・グレニス
(Glamorous Glennis) “という愛称を付けていた。

 

私は1997年に初めてこの博物館を訪れましたが、1日いても飽きなかったことを覚えています。
(奥さんは退屈そうでしたが)(笑)
ここには前述のアメリアの「ベガ」機もありましたし、リンドバーグが大西洋を横断した「スピリット・オブ・セントルイス」機も展示されています。
また、「飛行の先駆者」と言えるライト兄弟が、1903年に飛行した「ライトフライヤー号」もありました。

 

 

スミソニアン博物館(国立宇宙航空博物館)に入るとすぐ上にベル-X1号が飛んでます!

 

どんな歴史でもそうですが、それに続く者たちは先駆者に「追いつき」「追い越せ」と思うことで、技術&スキル、夢を大きくもつものだと思います。
ライト兄弟が初めて「大空」に飛び出したのは1903年で、それからわずか
44年後には、人類は音速を超えることに成功しました。

 

そして「音速を超えた」その次の挑戦が「宇宙」になっていきます。
チャック・イェーガーがいたエドワーズ空軍基地には、のちの「マーキュリー計画」によって宇宙飛行士になるヴァージル・イワン“ガス”・グリソムや、ゴードン・クーパー達が集まってきます。

 

イェーガーが「音速」という壁に挑戦し、その壁を破ったので、彼に続く者達が続々と現れてきました。限界を作るのも限界を超えるのも、我々自身であると思います。
何事にも共通するのではないでしょうか?

 

***

 

マーキュリー計画は、ソビエトに遅れをとったアメリカの威信をかけた計画で、1958〜1963年にかけて行われた有人宇宙飛行計画です。
この頃のアメリカとソビエトは、宇宙進出の初期段階の時期で、どちらが先に覇者となるかを競っていました。

 

ホワイトハウスで飛行をテレビで見るケネディ大統領

 

しかし当時、ソビエトは、人類初の人工衛星「スプートニク」、宇宙に初めて人を送った「ボストーク1号:飛行士ガガーリン」という世界初の記録を打ち立てていました。
アメリカとしては、人工衛星も、軌道周回飛行もソビエトに先を越されていまい、宇宙開発という観点においてソビエトに負け越している状態でした。

 

1961年、マーキュリー3号で初めて宇宙に出たアラン・シェパードも、1962年、マーキュリー6号で初の軌道周回飛行をしたジョン・グレンはじめ「7人の宇宙飛行士」は皆、軍所属のパイロットでした。

 

アメリカ初の周回飛行を成し遂げたマーキュリーセブンたち

 

 

ちなみに何故、第一人者のイェーガーが選ばれなかったか?
当時のアイゼンハワー大統領は、宇宙飛行士になる資格に「大卒」と「軍のパイロット」という条件を付けたため、学位の部分で選ばれませんでした。
また、後に人類初の月面着陸をすることになるニール・アームストロングは、民間人であるという理由でこの時は除外されています。

 

 

限界を超える挑戦

 

人類の叡智は限界がないかもしれません。
我々の住んでいる世界は、「陽」の部分も「陰」の部分もあります。
まあ、人類の話のような「大きな」テーマでなくても、身近にある問題も、難しい問題も挑戦しないと解決しないことも多いことでしょう。

 

イエーガーの偉業は「初めて音速を超えたこと」に留まらず、「普通の人間も挑戦し、それを成し遂げ、続けることでその名を残したこと」でしょう。

 

 

全く分野は違いますが、スティーブ・ジョブスが「もっと便利で」「誰でも使えて」「身近なパーソナルコンピューター」を作りたい、と挑戦して「名機;Macintosh」を世に送り出したことにも共通しているかもしれませんね。

 

私も限界を作らず、何事にも挑戦し続けたいと思います。
本日は、ここまで!
ありがとうございました!!

 

追伸:ジェリー・アンダーソンが、スーパーマリオネーション:『サンダーバード』を制作し、活躍する5人の兄弟に付けた名前は、「マーキュリー計画」での宇宙飛行士の名前に因んでいます(カッコが実在の宇宙飛行士)。

すなわち
長男:スコット(スコット・カーペンター)
次男:ジョン(ジョン・グレン)
三男;バージル(バージル“ガス”グリソム)
四男:ゴードン(ゴードン・クーパー)
五男:アラン(アラン・シェパード)

 

1965〜1966年までイギリスでテレビ放送された人形劇『特急サンダーバード』は、世界各地で発生した事故や災害で、絶体絶命の危機に瀕した人たちを、国際救助隊と名乗る秘密組織がスーパーメカを駆使して助ける物語。日本でもテレビ放映され、アメリカでは何度も劇場化もされています。

アメリア・イアハート〜南の海に消えた伝説の女性飛行士

皆さん、こんにちは。
木下馨です。
みなさんは、アメリア・イアハートを知っていますか?

 

 

前回、『ライカでグッドバイ』の沢田教一を取り上げましたが、
その著者:青木冨貴子さんのもう一つの著書が『アメリアを探せ』です。
これも私を「興味ある歴史」に導いた作品になりました。

 

青木冨貴子著『アメリアを探せ』

 

この本が出版されたのは1983年ですから私はまだ20代半ばでしたね。
気持ちは今でも当時と変わっていないのですが(笑)。

 

 

アメリアは、当時も珍しい女性飛行士です。
彼女が有名になったのは、1932年5月20日、女性初の大西洋単独横断飛行を成し遂げたからでした。
1927年、大西洋を初めて単独横断飛行をしたチャールズ・リンドバーグの快挙に続いたこともあり、
「ミス・リンディ」との愛称もありました。

 

飛行機の整備をしているアメリア

 

 

もっとも、リンドバーグと同じくパリに着く予定でしたが、天候や機械のトラブルで、アイルランドに着陸となりました。
その人柄は、チャーミングで知的、また、女性の地位向上のために熱心な活動を行い、アメリカ国民にも人気がありました。
大西洋単独横断飛行という偉業のほか、女性では初のアメリカ大陸単独横断無着陸飛行も成し遂げました。

 

 

そして1937年5月、「赤道上世界一周飛行」を計画し旅立ちます。
この当時はヨーロッパでもナチス・ドイツが台頭し、また、アジアでも支那事変が起きた年で世界全体が戦争へ向かっている時期でもありました。
この時代、航空機の発達で世界は確実に「近く」なってました。

 

 

同じ年の5月に、英国のジョージ6世の戴冠式の奉祝の名のもとに、日本でも朝日新聞が「亜欧連絡飛行」として、東京〜ロンドン間を「100時間以内」で飛行するという計画を立てました。
当時は日本とヨーロッパの定期飛行はもちろんなく、多くは船での移動に頼っていました。

 

 

したがって、「100時間」以内は極めて画期的なことでした。
結果、「神風号」は約94時間で世界初の東京〜ロンドン間を飛行したのでした。
現在、東京〜ロンドン間は約12時間で飛行します。

 

 

朝日新聞社の神風号


この「神風号」の快挙はまた、別の機会で取り上げたいと思います。

 

 

話をアメリアに戻しましょう。
アメリアの「赤道上世界一周飛行」は途中、7月2日に、日本の委任統治領南洋諸島に隣接したアメリカ領の無人島であるハウランド島を目指して離陸したが、目的地に着陸することありませんでした。

※ 日本の委任統治領で、現在のミクロネシア、マーシャル諸島パラオや北マリアナ諸島などです。第一次大戦の結果、ドイツ領であったのを国際連盟より委任されました

 

 

ここから『アメリアを探せ』では、
ルーズベルト大統領の密命により太平洋の日本軍の状況を確認するスパイ飛行説、日本軍の捕虜になりサイパンへ連行され処刑された説、などの当時の目撃者や研究者の話が掲載されています。

 

 

当時、アメリカは空母レキシントン、戦艦コロラドを初め400万ドル(当時)の大金をかけて捜索してますし、日本もサイパンにいた特務艦「膠州」等が捜査に協力しました。
しかしながら、何も見つからなかったので両国とも捜査を打ち切っています。

 

 

80年以上経った今でも、多くの研究者や、ナショナル・ジオグラフィック、ヒストリーチャンネルまでが調査に乗り出し、いろいろな説を唱えています。
あと何年かすれば、新しい発見が出るかもしれません。

 

エレクトラ号(最後のフライトはこの航空機)とアメリア

 

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そんなアメリアですから、過去には、映画にもなっています。
『アメリア 永遠の翼』は、ヒラリースワンクが演じています。

 

映画『アメリア 永遠の翼』:夫のジョージ・パットナムとの関係や、パイロットとの恋人関係など、彼女の偉業以外のエピソードも描かれています。

 

この作品は、Amazon Primeで見ることが可能です。

 

 

もう一作品は、
『ラストフライト/アメリアの挑戦』として、かつてWOWOWで放送され、視聴したのを覚えていますが、残念ながらDVD等の発売はないようです。
こちらは、ダイアン・キートンが演じています。

 

wowow『ラストフライト:アメリアの挑戦』

 


かつて、私もスミソニアン博物館で、彼女の愛機「真っ赤なロッキード ベガ」機を見たことがあります。

 

アメリア・イアハートのロッキード・ベガ

 


彼女の人生や挑戦を知ると、「もっと知りたい」「不明の原因はなんだろう」という思いが湧いてきます。
多くの研究者や冒険家も多分、彼女への畏敬の念から真実探究に熱心なのでしょう。

 

 

本日は、ここまで。
ありがとうございました!

 

番外編:映画『ナイトミュージアム2』にもアメリア・イアハートが出演。勇ましく、キュートで自由奔放なキャラクターとして描かれています。