歴史

人類によって絶滅を早められた動物シリーズ―リョコウバト編ー

みなさん、こんにちは!
木下馨です。

 

前回は、ステラーカイギュウ、その前はオオウミガラスの話をさせていただきました。

前回はこちら 人類によって絶滅を早められた動物シリーズーステラーカイギュウ編ー

前々回はこちら 人類によって絶滅を早められた動物シリーズー北極ペンギン編ー

 

今回は、最も有名な、そして悲惨なお話しかもしれません。

 

仮のお話をしましょう。
例えば「地球外生命体」のエイリアンが地球を襲い、「人間の味」が舌にあったとしましょう。
そして100年間かけて、人類70億人一人残らず絶滅に追いやった、なんてことが実際に起こったとしたらいかがでしょうか。

 

「そんなこと起こるわけがない」
とまず思うかもしれませんし、起こったとしたらなんて悲劇的なことだろうと思うことでしょう。

 

似たようなことがこの地球で起こりました。
ただし、エイリアンは「人間」で、「舌に合って」しまったのはリョコウバトでした。

 

リョコウバト。スマートなフォルムをした渡鳥でした。

 

 

リョコウバトはかつてアメリカ大陸東岸に棲息していた渡り鳥で、鳥類史上最も棲息数が多いとされた鳥でした。
その数、約50億羽!!
19世紀初頭のその数は、最後の一羽が動物園で亡くなるまで記録されていますが、20世紀初頭には絶滅しました!(一説には、60億とも90億とも言われています)

 

少なく見ても50億羽ですよ!!!
それだけの数のリョコウバトが、地球の歴史からみたらわずか100年の間に、突然のごとく乱獲、食用にされたわけです。
まさに彼らから見れば、人間は「エイリアン」であったことでしょう。

 

絶滅の主たる要因は乱獲といえます。
リョコウバトの肉は非常に美味とされ、17世紀から人口増加している白人入植者にとって、都会でも高く売れるこの鳥は絶好の獲物でありました。
もちろん、先住民族も食用にしていたわけですが、繁殖期には狩を止めるなど、自然に対する敬意と配慮がありました。

 

が、しかし、急速に近代化する白人たちにはその配慮は全く欠けていた、ということでしょう。

 

また当時、技術的な発達、例えば鉄道であるとか、電報などでいち早く情報が伝わり、ハンターや農民、ただ銃を撃って狩をしたい者たちに情報が共有され、乱獲されていきました。
農民は大量の家畜を引き連れてやってきました。
乱獲後の取り残された傷ついた個体や雛、卵などを家畜に食べさせるためです。
その太った家畜も「殺されるために」太らされるわけですが。

 

最後の営巣地はミシガン州のパトスキーで、1878年に約10億羽のリョコウバトが発見され、その全てが人間たちに狩られていきました。
のちに「パトスキーの虐殺」と呼ばれます。

 

有名な鳥類学者であるジェームズ・オーデュボンは、その場面を次のように書き残しています。

 

恐ろしい光景が繰り広げられた。数千羽のハトが、棒を手にした人々によって一瞬のうちにたたき落された。鳥たちは途切れることなくやって来て、いたるところに舞い下り、押し合いへし合いしながら黒山のように木に止まった。その重みに耐えかねて、そこここで木々が凄まじい音をたてながら地面に倒れ、どの枝にもぎっしりと止まっていた鳥を振り落とし、数百羽の鳥たちがその下敷きになって息耐えた。その有様といったら、狼狽と混乱の極みだった。すぐ隣にいる人にさえ、話しかけるどころか、どなってみても、まったく無駄だった。銃声すら聞こえず、火薬の炎を見て、始めて銃が発射されたことが分かるのだった。(中略)ハトは拾いあげられ、山のように積みあげられた。各人が処理できるだけ集めてしまうと、残りはブタを放して食べさせるのだった。

 

リョコウバト狩猟の博物画。実際はもっと空を黒く埋め尽くしていたリョコウバトと、それを一心不乱に捕獲するハンターや農民が山のようにいたのかもしれませんね。

 

 

リョコウバトはその数から「無数」に存在していると思われましたが、繁殖力は非常に弱く、また「多くの個体で群れ」を形成しなくては生きていけない個体でした。
繁殖期は年に1度、また一回の産卵数は一個だけでした。
先住民はこの特性を知っていたので、繁殖期には狩をしなかったわけです。

 

白人入植者の増加により、土地開発が進み、リョコウバトの営巣地である森林が急速に減少したことも繁殖に影響しました。

 

1906年にハンターが撃ち落としものを最後に、野生のリョコウバトは姿を消します。
最後はシンシナティの動物園にいた「マーサ」(ジョージ・ワシントンの妻;マーサから名を取りました)のみになります。
そのマーサも老衰のため(彼女は一生オリの中で過ごしました)、1914年9月1日に亡くなりました。

 

マーサは、最後の瞬間まで記録された「絶滅した動物」となりました。

 

最後の一羽となったリョコウバトの「マーサ」

 

 

いかがでしたでしょうか。
人類は地球上の動植物にとって、「エイリアン」にもなれますし、また「救世主」にもなれるかもしれません。
しかしながら、人口は70億を超え、今、食卓に上がっている食物や食肉&魚も、何年か経過すると乱獲や自然破壊で食べられなくなっているかもしれません。
また、昆虫や今まで口にしなかったものを、食べなくてはいけない事態になるかもしれません。

 

自然からの強烈な「しっぺ返し」の前に、我々一人一人が気づきの行動に結び付けたいものです。

 

本日はここまで!!

 

また、お会いしましょう!!

人類によって絶滅を早められた動物シリーズーステラーカイギュウ編ー

皆さま、こんにちは!
前回は、「オオウミガラス」のお話をさせていただきました。
前回はこちらから
人類によって絶滅を早められた動物シリーズー北極ペンギン編ー

 

今回の動物も明らかに人間によって絶滅させられた、と言ってよい動物「ステラーカイギュウ」です。

 

有名なステラーカイギュウの博物画

 

 

ことの発端

 

そもそも、ステラーカイギュウの絶滅は「ベーリング海」の名前でも有名なデンマーク出身のロシアの探検家、ヴィトウス・ベーリングに始まったと言っても過言ではないでしょう。

 

ベーリングは、1741年に第二次カムチャッカ探検隊を率いて、アジアから北米への航路を探している途中の11月に遭難してしまいます。
嵐に遭遇し、遭難したところは、カムチャッカ半島沖200kmにあるコマンドルスキー諸島の無人島でした(現ベーリング島)。

 

乗員の多くは前回でもお話ししましたが、壊血病になっており、その半数が死亡します。
ベーリング自身もこの病気で死亡します。
その後、隊の指揮をとったのがドイツ人医師で博物学者でもあったゲオルグ・ステラーでした。

 

ステラー一行は翌1742年の8月に島を離れ、10ヶ月後にペトロハバロスクに到着します。
帰国したステラーは、その島で過ごしたことを克明に報告しました。
そこには各種の海獣(ラッコやオットセイ)などの他、後のステラーカイギュウと命名された動物のこともありました。
全長7.5m、胴回りが6.2mの大型で、島の周辺に約2000頭はいると報告しました。

 

大きさの比較

 

 

まあ、大型の動物が2000頭しかいないのであれば、今では絶滅危惧種のレッドリストに載ると思いますが、当時はそんなことを考える人はいなかったのでしょう。

 

ステラーは、無事に帰国できたのは、このステラーカイギュウのおかげだと記していました。
ステラーカイギュウ一頭から約3トンの肉が手に入り、それが仔牛の肉のようだったと。
また、脂肪はアーモンドオイルのようで、ミルクはそのまま飲まれたとのこと。
脂肪はランプのオイルにも使われたと記されています。
皮も加工され、ボートを作る時にも波から守るカバーとして使われました。

 

ステラーカイギュウ;大きさは5トンから12トンあったと言われています。

 

 

乗員たちの体力が回復できたのもステラーカイギュウのおかげでしたし、そして何より、長期の脱出航海の際に乗員の保存食として重用されました。

 

 

ハンターたちの一攫千金とステラーカイギュウの性質が絶滅を加速させる

 

ステラーの話を聞いたハンター&狩猟者、冒険家、一攫千金を狙う毛皮商人たちがコマンドルスキー諸島を目指します。
目的は二つ。
コマンドルスキー諸島に生息するラッコを狩りに。
当時ラッコは高値で取引されましたので、彼らの獲物でもありました。
そして、一石二鳥と言わんばかりに、ステラーカイギュー狩りも行いました。

 

その使用目的は、主に食用、そして船の資材として皮を利用するために狩られました。
また皮下脂肪は前述したように、食用以外にオイルランプにも利用されました。
煙やにおいがなく、温暖な気候で長期保存してもカビが生えないというスグレモノのため、重宝されたそうです。

 

また、体は大きいが動きが鈍く、仲間が、特にメスが攻撃されるとオス等がそれを助けようとして寄ってきます。
仲間を助けようとする大型動物の心が仇となり、人間にとって狩は非常に楽だったようです。

 

ただし、数トンあるカイギュウを当時の人力では浜辺に上げることはできず(リフトがある訳でなく)、波に任せて打ち上げられるまで待ったようです。
しかし、そのまま沖に流される個体もあり、効率的ではなかったと語られています。

 

ジュゴンやマナティの仲間であろうこの大型動物は、このコマンドル島にいたのが唯一の個体群であったのですが、ステラーが発見してから27年後に(乱獲の割には比較的長い年月かと)最後の個体が殺され、それ以降の発見は公式にはありません。

 

1年以上の妊娠期間で一頭しか産まないという繁殖力の弱い大型の海獣であり、かつ、2000頭となれば、いずれは絶滅の道は逃れられなかったかもしれません。

 

しかしながら、この海獣も「人間の口」と「人間の欲」に適合してしまったのが、悲劇の始まりであり、人間の貪欲なまでの物欲のためにその生存期間を短くされた、と言っても過言ではないでしょう。

 

ちなみに、目撃情報として最も新しいものでも今から59年前、1962年ベーリング海で見知らぬ大型の海獣が数頭泳いでいるのを目撃したことが報告されていますが、他の海獣であったかは不明のままです。

 

本日は、ここまで。
次回、このシリーズの最も有名なお話をさせていただきましょう!
ありがとうございました!!