歴史

人類初の南極点到達から見るリーダーシップ

皆さん、こんにちは!

木下馨です。

まだまだ寒い日が続きますね。

 

人間は「極寒」であっても「挑戦」をやめないものです。ハードルが高ければそれを超えようとするのは人間の本性かもしれません。
そういった歴史を見ていきましょう。

 

寒い、といえば地球の極地、といえば南極と北極ですが、大陸なのは南極です。
今から110年前においては、この未知の大陸;南極の「南極点」に到達することは、今で言う月や火星への探検&探索に匹敵するかもしれません。

 

この「人類で初めて南極点に到達するのは誰か」という競争に、イギリス人:ロバート・スコットと、ノルウエー人:ロアール・アムンセンが挑戦しました。

 

ロバート・スコットとロアール・アムンセン

 

 

スコット隊の悲劇

 

 

ことの経緯は少し割愛しますが、スコット隊が南極に上陸したのは、1911年10月、越冬を終えたスコット隊は、エヴァンス岬から南極点に向け出発をします。
内燃機関を利用した雪上車2台による先発隊が10月24日に出発し、ロバート・スコットが率いる馬ぞりの本隊が11月1日に出発しました。

 

南極点まで約1500km。
これは、かなり長い距離ですね。
東京から沖縄:那覇までで約1500kmになるでしょうか。
その距離を「雪上車」「馬」で行こうとしたわけです。
極寒の地で。

 

スコット隊の行程は困難を極めました。
まず、雪上車が1週間ほどで故障。
また、極寒の地に馬が適しているわけでなく、(馬の食料も携帯しなくてはならない)次々に失い、12月のはじめには最後の一頭も射殺しなくてはならなくなりました。

 

あとは人力でソリを引かなくてはなりません。
また、スコット隊の「防寒具」も体力を消耗するものでした。
これは、後ほど説明します。

 

最終的に南極点を目指したのは、
ロバート・スコット、ヘンリー・バウアーズ、ローレンス・オーツ大尉、エドガー・エヴァンス、エドワード・ウィルソンの5人でした。
そして、1912年1月17日に、スコット隊は南極点に到達しました。
しかしながらノルウエー;アムンセン隊は約1ヶ月前にすでに到達していました!!

 

悲劇はこの後にやってきます。
失意のうちに帰途につきますが、すでに体力の消耗と食糧の不足、悪天候が重なり、彼らは1912年3月29日までに全員が死亡します。

 

 

 

馬でなく犬ゾリを多用したアムンセン隊

 

 

アムンセン隊は、1911年1月14日に南極に上陸します。
準備を十分にして、1911年10月20日に南極点に向けて出発します。
その距離は、スコット隊より100kmほど短いものの、未知の土地を進まなくてはならない危険なものでした。
アムンセン隊は4人の選抜隊とともに、4台の犬ゾリを1台あたり13頭、計52頭に引かせて南極横断を開始します。

 

彼らは途中、好天にも恵まれてアムンセン隊は順調に距離を伸ばし、1911年12月14日、人類初の南極点到達を果たしました!

 

当初はスコット隊が有利、と言われていたのですが、何故アムンセン隊が先に到達したのでしょうか?
もしかしたら、「トップの判断」「状況分析」などビジネスの経営判断にも通じるものがあるかもしれません。

 

 

アムンセン隊と犬ゾリ

 

 

運命の分かれ目;状況判断

 

 

失敗と成功の分析は多くが語られていますが、代表的なものを見ていきましょう。

1)アムンセン隊は犬ゾリを活用。
一方、スコット隊は馬を利用しましたが、南極の温度は馬の耐寒温度を遥かに超えていました。

 

2)したがって馬を失えば、馬が引いていた荷物を人力で運ばなければならず体力を消耗しました。

 

3)アムンセン隊は携帯食料を少なくし、海獣を狩り、いざという時は犬ゾリの犬も食料にしました。
一方、スコット隊は食料全てを持ち込んだため、前述の馬を失えば運ぶ手段は人力だけなので、馬を失えば最低限の食料しか携帯できませんでした。

 

4)アムンセン隊は「南極点到達」のみに集中しました。
一方、スコット隊は「学術調査&地質調査」を行いながらでしたので、戦力分散になりました。

 

5)アムンセン隊は、当時としては防水性の高いアザラシの毛皮を利用したものでした。
一方、スコット隊は牛革を重ねた防寒具で寒さには強かったですが耐水性に劣るものでした。
興味深いことに、両隊とも「バーバリー」のコートを組み合わせていました。

 

6)アムンセンは「冒険家」であったので、もし「危険」と判断したら、また別の機会に、と引き帰る勇気を持っていました。
一方、スコットは元軍人であり、「大英帝国」の威信を背負っていました。
ノルウエーに負けるわけにはいかない、という重圧が判断を誤らせたのかもしれません。

 

7)アムンセン隊はテントも工夫し、5人が十分休めるようにカスタマイズしたテントでした。
一方、スコット隊は4人用のテントのままで5人が休まらなければならず、十分な休息が取れなかったと推測されます。
皆、大男ですからね。
睡眠が取れなければ体力を余計に消耗します。

 

 

アムンセン隊

 

 

リーダーシップとは?

 

 

先に述べたとおり、スコットは元海軍軍人であり、リーダーシップは軍隊式であったのでしょう。
つまり「命令」で事を進めたので、隊員の士気にかなり影響したと推測されます。
隊員が提案してもプライド高いスコットは「これは命令だ!」と言ったのでは、と想像できます。

 

一方、アムンセンは積極的に隊員の提案に耳を傾け、装備品の改良を行うなどし、隊員に参画意識を持たせ、チームワークを重視しました。
また、南極点を目指す前には、アムンセンは北西航路の探検時に越冬した際、地元のイヌイットから犬ゾリの使い方や、毛皮を使った防寒着の作り方など、寒冷地での生存術を学んでいました。

 

そして、隊員はクロスカントリーが盛んなノルウェー出身だったため、スキーによる長時間の滑走にも慣れていました。
しかし、スコット隊はそのような技術や知識を持つ人間がいなかったことも要因と思われます。

 

いかがでしたでしょうか?
リーダーはいろんなことに気を配りますが、それを実行するスキルも用意しなくてはなりません。

 

我々は、歴史上の先人達から多くの事を学べますね。

 

 

本日はここまで。

またお会いしましょう!!

2021年を占う?!〜歴史は繰り返す60年サイクルからの考察〜

皆様!あけましておめでとうございます。
木下馨です。

 

2021年も幕を開けましたが、皆様はどのようにお過ごしでしょうか。
おそらく私もそうですが、人生で初めての経験をしている正月を迎えておいでになるのではないでしょうか?

 

本年もKinoPediaで皆様の「そんなことが!」「そうだったのか」的なお話ができれば幸いです。

 

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

さて、2021年はどんな年になるでしょうか?
巷にも多くの占いや予想が出ていますので、皆様の方が詳しいかもしれません。

 

ここでは、過去を振り返りながら、本年がどんな年になるか考察したいと思います。

 

干支(えと)的には、本年は辛丑(かのとうし)となり、ある占いによると、
『個々人の努力や自己管理、忍耐が必要な年にはなるが、多くの人の結びつきが期待出来、全体的にまとまりのある年』
になるとのことです。

 

この干支は「60年に一度」巡ってくるそうですので、60年前、つまり、1961年に上記のようなことがあったのか見ていきたいと思います。

 

この年の世界的で大きな事柄として二つ。
<ピッグス湾事件>
在米亡命キューバ人部隊がアメリカのCIAの支援の下、グアテマラで軍事訓練の後、キューバに侵攻してカストロ革命政権の打倒を試みた事件が起きました。

 

アメリカ軍によって訓練中の亡命キューバ人部隊

 

 

<ベルリンの境界封鎖>
この年、東西に分断されていたドイツでは東西ベルリンの境界を封鎖しました。これが、後に境界線上に壁(いわゆるベルリンの壁)を建設するに至ったのです。

 

 

アメリカとソビエト連邦の東西冷戦によって、世界は「戦争」になるのを避けるべく確かに「忍耐」が必要な年でありました。

 

また、イスラエルでは「アイヒマン裁判」も行われ、世界の注目を浴びました。
※ アドルフ・アイヒマン裁判:ナチスドイツでユダヤ人問題の最終解決(ホロコースト)に関与し、数百万人におよぶ強制収容所への移送に指揮的役割を担ったアイヒマンの裁判

 

裁判中のアドルフ・アイヒマン

 

しかしながら「期待」を持てる年でもありました。
この年、就任したアメリカ合衆国第35代大統領:ジョン・F・ケネディは就任演説を行いました。
その演説で最も有名な部分において、米国民に対し、自己利益を超えて自分の国のために働くよう促し、

「あなたの国があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」と述べました。

 

そしていかなる困難があっても、世界の人々が自らの人生を切り拓けるように、強者が覇者となるだけでなく、共に手を組んで世界の発展のために寄与できるよう取り組もうと訴えました。

 

しかし、その道のりは長く、最初の100日間はおろか1000日間でも、我々が生きている間にも達成されないだろうと説きましたが、その最後の締めくくりとして、

「But let us begin.(だが、とにかく始めようではないか)」と訴えました。

 

アメリカ国民が1つに団結し、未来に希望を持ち、まとまった瞬間ではなかったでしょうか。

 

就任式でのジョン・F・ケネデ

 

 

彼が語った「天体の探査」は、まずソ連のユーリィ・ガガーリンがボストーク1号に乗って世界で初めて有人宇宙飛行を成功し、その約1ヶ月後、アメリカの宇宙飛行士:アラン・シェパードが有人飛行を成功させます。

 

激動の中にも「希望や一体化」を持てた年でもあったことでしょう。

 

その60年前の1901年(明治34年)には、何があったのでしょうか?
日本では、やはり激動の年と言えるのではないでしょうか。

 

世界的には中国(当時は清国)で起きた「北清事変」(義和団の乱:「扶清滅洋」を叫ぶ秘密結社義和団による排外運動)によって、北京議定書が締結。
中国や遼東半島における欧米列強の野望が強まる中、日本は対外的には「日英同盟」の推進を進めました。
その一方で、ロシアとの交渉では、日露協商交渉が打ち切りになるなど、国際情勢は複雑な様相でした。

 

義和団兵

 

 

こうみると60年ごと、大国の野望が常にあり、その一方で団結を促す事項で希望を持つという図式があるようです。

翻って、本年はどうでしょうか。

大国の野望は、我が国近郊や近海にも垣間見られます。
また、世界的パンデミックで希望がまだまだ持てない状況が続きますが、その中でそれを超えて、一体化、団結する要因は、もしかしたら東京でのオリンピックかもしれませんね。

 

皆様にとって本年はどんな年にしたいでしょうか?
どんな時代でも、しっかり目標を持ってお互い、素晴らしい年にしたいものです。

 

共に「より良き未来」に向かって進んで参りたいと思います!

 

今回はここまで。

また、お会いしましょう!!!