みなさん、こんにちは!

木下馨です。

 

高校野球ファンには残念な結果であった「大会中止」。

奇しくも「3月11日」の発表でした。

今回のKinopediaは、大会中止に焦点を当てるのではなく、改めて「選抜高校野球」の”ある一面”に私なりにスポットを当てたいと思います。

「選抜高校野球」で優勝した投手が、プロ野球で大成したか? です。

 

皆さんはどう思いますか?

 

実は、選抜で優勝した投手が、プロ入りして「100勝」以上した投手は意外に少なく、3人しかいません。

 

1人目は、野口二郎投手(中京商業:東京セネタース、阪急他)。

2人目は、平松正次投手(岡山東商業:大洋ホエールズ)。

3人目は、池永正明投手(下関商業:西鉄ライオンズ)。

 

この3人はそれぞれ、記録を持っています。

 

 

 

鉄腕と呼ばれた二刀流の元祖、野口二郎投手

野口二郎投手は、今で言う「二刀流」の元祖です。

通算237勝は「選抜優勝投手」としては最高の成績です。

また、規定投球回数と規定打席を満たしているシーズンがなんと6回もあり、生涯、830安打を記録しています。

(大正生まれであったため、名球会には入っていません)

シーズン無四球(13無四球)、シーズン完封(19完封)の日本記録保持者でもあります。

 

 

野口家は、明、二郎、昇、渉と4兄弟をプロ野球選手として輩出している野球一家。

野口二郎投手は次男にあたります。

プロ入り後は、多投しながらも好成績を収めたことから「鉄腕」と言われていました。

 

 

カミソリシュートで大活躍した平松政次投手

平松政次投手は、選抜優勝投手で名球会(200勝以上)入りしているただ1人の選手です。

平松政次投手は、当時の「岡山三羽烏」の1人として名を馳せていました。

岡山三羽烏とは、岡山県の高校野球において、特に優れた選手のこと。

あとの2人は松岡弘(倉敷商〜サンケイ〜ヤクルト)、森安敏明(岡山関西〜東映)。

そして1年先輩には、星野仙一(倉敷商〜明治〜中日)がいました。

 

第一回ドラフト会議で中日ドラゴンズから4位指名を受けるが拒否。

社会人野球の日本石油に入社、都市対抗野球で1年目は準優勝、2年目は優勝という活躍をしました。

 

2年目の大会二日後に大洋ホエールズに入団。

期待されたものの、2年目までは鳴かず飛ばずで、ご本人も選手生命の危機を感じたそうです。

 

しかし、3年目のキャンプで新たな才能が開花します。

一軍選手に「冷やかされて」初めてちゃんと投げたシュートが打者の胸に鋭く食い込みました。

その威力に驚いた一軍選手がコーチに報告して、起死回生のチャンス到来となりました。

高速球かつ、圧倒的な切れ味を誇る平松投手のシュートには、「カミソリシュート」と異名が付いています。

 

 

才能を惜しまれ球界を去った池永正明投手。35年後に復権

池永正明投手はプロ1年目で20勝を挙げています。

高校出身1年目で20勝を挙げた投手は池永投手以来、出て来ていません。

 

また、1965年の新人から5年連続でオールスターゲームにも出場し、セ・リーグを無失点に抑えていますし、入団から5年間で99勝を挙げていました。

 

1969年のシーズンオフに、八百長疑惑・事件として野球界に激震が走った、いわゆる「黒い霧事件」が明るみになり、翌年、永久追放になったのはなんとも残念です。

もし、順調に現役を続けていれば300勝も夢ではなかったと思います。

 

 

高校野球は人気のスポーツですが、近年言われている通り、高校生の肉体を酷使しているのかもしれません。

優勝を狙うがあまり、肩や体を酷使して若い体を無理した結果、高校時代がピークになっているのかもしれませんね。

 

今回はここまで。

ありがとうございました!