逆境の時こそ前向きに

逆境の時こそ前向きに!

今回はそんなお話をしたいと思います。

 

友人でもある経営コンサルタントの岡田有史さんからお聞きした話ですが、船井総研の創業者の船井幸雄さんは、よく「プラス発想が人生の秘訣だ」とおっしゃっていたそうです。

 

要約すると、

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・とにかく超楽天的であれ。

・耐え忍げ。

・絶対に気持ちまで持っていかれるな。

・一番不遇な時にちゃんと前に行けるか。

・必ずちゃんと後々全てが繋がってくる。

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逆境を克服された方々には上記の共通点があるようです。

 

ダイソーの矢野博丈社長は会社が倒産したときに在庫品を一掃するのに、計算が難しいので「100円でいいや!」としたのが「100円ショップ」の始まりだとか。

今や、4,700億円以上の売り上げを誇っています。

 

スティーブ・ジョブスは、アップルを追放されて、NEXTとPIXAR(ルーカスフイルムを買収)を立ち上げました。

木下が2016年に訪れた時の写真。スティーブ・ジョブズの実家です

 

しかし、約10年間、赤字続きで約5000万ドルの私財を投じ、苦労も多かったのですが、その中から「トイ・ストーリー」「バグズライフ」等多くのヒットを連発。

上場も果たし、後にディズニーの大株主になります。

ここから数々の名作が世に出ました

 

また、アップルにも復帰し、iPodやiMac、iPhoneといったヒット商品を生み続けたのはみなさんもご存知のところです。

スタンフォード大学での卒業メッセージで語った「点と点を結ぶ」や「Stay hungry, stay foolish.」は有名な言葉です。

 

ダイエーの中内功社長は、戦後の混乱期に始まり、日本に流通革命を起こした先駆者でした。

消費者目線で、どこよりも安く商品を提供することにこだわるが故に、既存の流通形態を守りたい業界の猛烈な逆風に遭いながらも、信念を曲げず戦い続けたと言っても過言ではないでしょう。

 

イトーヨーカ堂の伊藤雅俊社長は、戦後ほどなくして欧米の流通業を視察。

日本にいち早くチェーンストア政策を取り入れ、高度成長期には日本初のコンビニエンスストアであるセブンイレブンを展開します。

実は、当時コンビニの概念がなかった日本において、役員全員が反対したにも関わらず、伊藤社長がGoサインを出しました。

小売業に業態革命を起こした立役者とも言えます。

 

HONDAの本田宗一郎社長も何度も失敗しても、「世界一を目指す」理想を掲げ二輪では文字通り世界一に。

その後、四輪、F1にも進出。

デトロイトにある「自動車殿堂」に日本人で初めて殿堂入りを果たしています。

創業当初、みかん箱に乗り数人の社員の前で毎日演説をしていたエピソードは有名ですね

 

上記の方々は、立ち上がることが困難な状況でも、諦めずに先駆者として道を切り拓き、事業を大きくしていかれました。

 

”コロナショック”とも言える荒天の時期ですが、先人の教えから我々もこの逆境に必ずや立ち向かい、「ビジネスチャンス」と捉えて進みたいですね。

そして、人脈を大切にしてお互い、応援していきたいと思います。

春の選抜高校野球が中止になって思うこと

みなさん、こんにちは!

木下馨です。

 

高校野球ファンには残念な結果であった「大会中止」。

奇しくも「3月11日」の発表でした。

今回のKinopediaは、大会中止に焦点を当てるのではなく、改めて「選抜高校野球」の”ある一面”に私なりにスポットを当てたいと思います。

「選抜高校野球」で優勝した投手が、プロ野球で大成したか? です。

 

皆さんはどう思いますか?

 

実は、選抜で優勝した投手が、プロ入りして「100勝」以上した投手は意外に少なく、3人しかいません。

 

1人目は、野口二郎投手(中京商業:東京セネタース、阪急他)。

2人目は、平松正次投手(岡山東商業:大洋ホエールズ)。

3人目は、池永正明投手(下関商業:西鉄ライオンズ)。

 

この3人はそれぞれ、記録を持っています。

 

 

 

鉄腕と呼ばれた二刀流の元祖、野口二郎投手

野口二郎投手は、今で言う「二刀流」の元祖です。

通算237勝は「選抜優勝投手」としては最高の成績です。

また、規定投球回数と規定打席を満たしているシーズンがなんと6回もあり、生涯、830安打を記録しています。

(大正生まれであったため、名球会には入っていません)

シーズン無四球(13無四球)、シーズン完封(19完封)の日本記録保持者でもあります。

 

 

野口家は、明、二郎、昇、渉と4兄弟をプロ野球選手として輩出している野球一家。

野口二郎投手は次男にあたります。

プロ入り後は、多投しながらも好成績を収めたことから「鉄腕」と言われていました。

 

 

カミソリシュートで大活躍した平松政次投手

平松政次投手は、選抜優勝投手で名球会(200勝以上)入りしているただ1人の選手です。

平松政次投手は、当時の「岡山三羽烏」の1人として名を馳せていました。

岡山三羽烏とは、岡山県の高校野球において、特に優れた選手のこと。

あとの2人は松岡弘(倉敷商〜サンケイ〜ヤクルト)、森安敏明(岡山関西〜東映)。

そして1年先輩には、星野仙一(倉敷商〜明治〜中日)がいました。

 

第一回ドラフト会議で中日ドラゴンズから4位指名を受けるが拒否。

社会人野球の日本石油に入社、都市対抗野球で1年目は準優勝、2年目は優勝という活躍をしました。

 

2年目の大会二日後に大洋ホエールズに入団。

期待されたものの、2年目までは鳴かず飛ばずで、ご本人も選手生命の危機を感じたそうです。

 

しかし、3年目のキャンプで新たな才能が開花します。

一軍選手に「冷やかされて」初めてちゃんと投げたシュートが打者の胸に鋭く食い込みました。

その威力に驚いた一軍選手がコーチに報告して、起死回生のチャンス到来となりました。

高速球かつ、圧倒的な切れ味を誇る平松投手のシュートには、「カミソリシュート」と異名が付いています。

 

 

才能を惜しまれ球界を去った池永正明投手。35年後に復権

池永正明投手はプロ1年目で20勝を挙げています。

高校出身1年目で20勝を挙げた投手は池永投手以来、出て来ていません。

 

また、1965年の新人から5年連続でオールスターゲームにも出場し、セ・リーグを無失点に抑えていますし、入団から5年間で99勝を挙げていました。

 

1969年のシーズンオフに、八百長疑惑・事件として野球界に激震が走った、いわゆる「黒い霧事件」が明るみになり、翌年、永久追放になったのはなんとも残念です。

もし、順調に現役を続けていれば300勝も夢ではなかったと思います。

 

 

高校野球は人気のスポーツですが、近年言われている通り、高校生の肉体を酷使しているのかもしれません。

優勝を狙うがあまり、肩や体を酷使して若い体を無理した結果、高校時代がピークになっているのかもしれませんね。

 

今回はここまで。

ありがとうございました!