人種差別に立ち向かった偉大な男たち後編〜日本プロ野球編〜

みなさん、こんにちは!

木下馨です。

 

今回は、『人種差別に立ち向かった偉大な男たち』の後編です。

 

前編はこちらから

https://kaoru-kinoshita.com/2020/05/20/人種差別に立ち向かった偉大な男たち前編「ジャ/

 

本日は前回、ジャッキー・ロビンソンとともにご紹介した、2人の黒人大リーガーと日本プロ野球との関係にも触れておきましょう。

 

 

日本プロ野球にも縁がある、ラリー・ドビーとドン・ニューカム

 

ラリー・ドビーは、1947年7月にメジャーデビューを成し遂げます。

同年4月15日のジャッキー・ロビンソンに次いで、黒人としては2人目のMLB選手で、アメリカンリーグではドビーが初めての選手となりました。

 

1952年に本塁打王のタイトルを獲得。

1954年には本塁打王と打点王に輝き、通算253本塁打。

 

また、1978年には、フランク・ロビンソンに次いで、二人目の黒人MLB監督となります。

インディアンズでは背番号「14」は永久欠番です。

 

ラリー・ドビー(インディアンズ時代)

 

 

ドン・ニューカムは、1949年5月20日にメジャーデビューを果たし、MLB初の黒人投手となりました。

 

同年は、リーグ最多の5完封を含む、17勝8敗・防御率3.17で、新人王に輝きます。

1956年には、ナショナルリーグのMVP賞を受賞。

今で言う「二刀流選手」で、通算投手で149勝、10年間で238安打、15本塁打を記録しています。

 

ドン・ニューカム(ドジャース時代)

 

 

この2人は、1962年、日本プロ野球(NPB)「中日ドラゴンズ」でプレーをしています。

 

そこには、こんな「歴史」があります。

当時の濃人渉監督は、九州の選手を重用していました。

そして、今までのいわゆる「生え抜き」をトレードに出してしまいます。

前年にクリーンナップを務めていた井上登(岡崎高)を、南海の長谷川繁雄、カールトン半田、寺田陽介との1対3でトレード。

長嶋茂雄(立教〜巨人)と並び称され、1959年に本塁打王と打点王に輝いた森徹(早稲田)を、大洋ホエールズに金銭トレードに出します。

代わりにクリーンナップを期待した寺田、長谷川両選手は不振。

チームの打線を江藤慎一(熊本工)1人で引っ張ることになり、得点力は低下、一時は「借金10」まで落ち込みます。

このトレード・成績について、ファンからも非難されてしまいます。

策を考えた球団は、シーズン途中にもかかわらず「助っ人」を頼もうということになりました。

そして、1959年に引退して3シーズ振りの現役復帰となるラリー・ドビーと、ドン・ニューカムを打者として球団に迎え入れたのです。

 

中日ドラゴンズ時代のラリー・ドビー(左)、ドン・ニューカム(右)

 

 

彼らの活躍で、最終的にはリーグ3位になります。

彼らはNPB初の「元大リーガー」でした。

(ちなみに、「現役大リーガー」が初めて日本でプレーしたのも中日ドラゴンズでした。この話は別の機会にしますが、1963年から3年間プレーしたジム・マーシャルです)

 

プロ野球ファンの中で、このような歴史を作った偉大な選手がNPBに在籍、プレーしていたことを知っている人は、どれだけいるのでしょうか。

 

中日ドラゴンズは、素晴らしい先人が在籍していたことをもっとアピールしてほしいと思います。

 

 

人種の壁と戦う男たち

その後もNPBには、多くの「助っ人」がやってきます。

 

かつて、ロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)に在籍したレロン・リーは、来日した1977年の試合後に、チームメイトに風呂に誘われました。

チームメイト全員で背中を流し、彼にもお湯をかけてくるのを体験し、

「この国には差別が無い」と感激したそうです。

 

レロン・リー(ロッテ時代)

 

 

また、1987年に、近鉄バッファローズ(現オリックス&楽天に振り分け)に在籍したベン・オグリビーは、MLBで15年間の現役で3度のオールスターに出場した選手でした。

ところが、近鉄とのプレーで、自分のミスで試合に敗けて落ち込んでいたところ、チームメイトに風呂に投げ込まれ、お湯を掛け合うなどしてはしゃぎ、励まされた時、

「メジャー時代でも、白人と黒人が一緒にお風呂に入ることなど無かったのに」と言い感激していたそうです。

 

ベン・オグリビー(近鉄時代)

 

 

ロビンソンがプレーしてから40年近く経ても、まだまだ差別は存在していたことに驚きます。

ロビンソン選手が「鍵をこじ開けて」から今日まで、今のMLBは42%が有色人種で、白人選手の比率は58%で過去最低だそうです。

 

日本人選手も多く活躍するMLBですが、まだまだグラウンド以外で戦うタフさは必要なことでしょう。

負けないで頑張ってほしいと思いますし、日本のプロ野球(NLB)が誇れることが多くあるのも事実でしょう。

 

 

日本が世界に誇れること

個人的には「アジアリーグ構想」として台湾、韓国、中国とのリーグができればと思っています。

「外国人枠の撤廃」をして、台湾チームの4番を日本選手が打ったり、日本チームのエースが韓国選手だったり。

 

いかがでしょうか?

政治や人種の壁を持ち込まず、差別なきリーグを作れるのも日本が創造できると思います。

 

今日はここまで。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

人種差別に立ち向かった偉大な男たち前編「ジャッキー・ロビンソン」

みなさん、こんにちは。

木下馨です。

 

球春まだ来ぬこの季節、本日は速報で、夏の甲子園大会の中止が決定しました。

仕方ないとはいえ、野球ファンとしては残念でなりません。

今年のプロ野球もどうなることやら。

いつものように、野球観戦のできる日が待ち遠しいかぎりです。

 

今回の話題は、私も大好きな「野球」について、いくつか書いてみたいと思います。

前編・後編にわたって、ジャッキー・ロビンソンはじめ、偉大な先人の何人かについてお話ししてみましょう!

 

初の黒人メジャーリーガー

ジャッキー・ロビンソンがなぜ有名かといえば、第二次大戦終了後の1947年、20世紀になって初めての「黒人メジャーリーガー」になったからです。

我々日本人の想像を絶する人種差別が残っていた時代の話です。

 

その証拠に、入団した「ブルックリン・ドジャース」(現在のロサンゼルス・ドジャース)では、黒人とのプレーを拒否した数人が球団を辞めていきました。

さらに、相手チームだけでなくファンからも心無い野次も起こり、加えて、対戦相手からの対戦拒否。

まさに、想像を絶する人種差別でした。

 

試合前のジャッキー・ロビンソン(右)

 

彼一人の力では、この差別には勝てなかったでしょう。

ロビンソンを抜擢した当時のオーナー、ブランチ・リッキーは、オーナー会議で15対1で反対されたにも関わらずプレーを支えました。

 

入団に伴い、ブランチ・リッキーはロビンソンにこういいます。

君は、これまで誰もやっていなかった困難な戦いを始めなければならない。

その戦いに勝つには、君は偉大なプレーヤーであるばかりか、立派な紳士でかねればならない。

仕返しをしない勇気を持つんだ。

こういってから、ロビンソンの右の頬を殴ったそうです。

 

ロビンソンは、

頬は、もう一つあります。ご存知ですか。

と答えたといいます。

 

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ロビンソンは子どもの頃から、勉強もスポーツも秀でていて、大学でも、軍の幹部候補生学校でも優秀な成績を修めています。

そして、彼が所属する組織には人種差別が存在し、彼は常に人種差別と戦っていました。

才能豊かな人でしたが、人種差別によって、その才能を発揮する場所を奪われていました。

しかし、彼は何度も周囲の人に助けられています。

それは、ただ単にロビンソンが幸運だった、

というわけではなく、日々の彼の姿勢をとおして、彼に敬意を抱く人が多かったからかもしれません。

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MLBのオーナー会議では、ドジャースを除く全15球団がロビンソンのメジャーでのプレイを反対し、その中でも数団はドジャースに対し脅しのような発言もしています。

しかし、コミッショナー:ハッピー・チャンドラーは、ドジャースを支持。

ナショナルリーグ会長のフォード・フリックは、

「ドジャースと対戦拒否した場合は、出場停止や没収試合」を明言しました。

 

また、監督のレオ・ドローチャーは、

自分は選手の肌が黄色であろうと黒であろうと構わない。

自分はこのチームの監督である。

優秀な選手であれば使う。

もし自分に反対する者がいたら、チームを出て行ってほしい。

と語ったそうです。

(レオ・ドローチャーは、晩年の1976年に、太平洋クラブライオンズ(現、西武ライオンズ)に監督受諾するも、病気で来日できなかった)

 

ジャッキー・ロビンソンは、1949年には、最高打率349で首位打者、37盗塁で盗塁王でMVPに輝きました。

また、黒人選手として、ロイ・キャンパネラ、ドン・ニューカム、ラリー・ドビーと共に、初のオールスターゲームに出場を果たしました。

 

しかしながら、映画「42〜世界を変えた男」にも描かれていますが、試合が終わってシャワーを浴びる時、白人選手が終わってから入るようにしているシーンもあり(シャワーを浴びると白人選手がすぐに出てしまう)、差別は根強く残っていることが描かれています。

 

ジャッキー・ロビンソンを描いた伝記映画

 

今日はここまで。

続きは後編で!

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

※ アイキャッチ画像はこちらからお借りしました。

Dodgers, MLB honor No. 42