アメリカの暴動に思い、未来を考える意味でもお勧めの映画

みなさん、こんにちは。

木下馨です。

 

アメリカでは、警察官の黒人男性への暴行&殺人により、各市で暴動&抗議デモで混乱が続いている状況です(このブログを書いている6月6日現在)。

アメリカは何年かに一度、それも似たような状況でこのようなことを繰り返している、というのがアメリカの歴史です。

 

今回は、アメリカで過去に起きた暴動の背景や、人種差別と戦った人たち、そして、それを描いた映画をご紹介します。

 

 

ワッツ暴動とロサンゼルス暴動

 

1965年に、ワッツ市(現在はロサンゼルス市に吸収)で起こった「ワッツ暴動」のきっかけは、白人のハイウエイ・パトロールが、黒人居住区ワッツ市で蛇行運転をしていた車を停止させ、黒人家族を逮捕。

その様子を地元住民多数が目撃し、警察官への襲撃に端を発し、集団略奪や放火にまで発展しました。

暴動は6日間、死者34人、負傷者1,000人以上、逮捕者は4,000人を超え、被害総額は3,500万ドルと言われています。

※ 居住者の99%は黒人、しかし配置された警察官はほとんど白人でした

 

1965年のワッツ暴動の様子

 

1992年に起きた「ロサンゼルス暴動」も、前年の1991年、警官の黒人に対する暴行に端を発しています。

ロドニー・キング氏はスピード違反を起こした際、20人もの警官に無理やり引きづり出されて暴行を受け、アゴの骨は砕け、片目も潰されたとされています。

この様子を近隣住民がビデオ撮影をしていました。

その後、起訴された4人の警察官は裁判で無罪。

※ 多数が白人。起訴された4人のうち1人はヒスパニック系

 

さらにこの事件が起きてから、13日後、黒人居住区の韓国系アメリカ人の女性店主が、万引きしたとして黒人少女を射殺。

その裁判も異例の軽い刑であったことも引き金になりました。

暴動は6日間、死者53人、負傷者2,000人以上、放火は3500件以上、被害総額は8億ドルとも10億ドルとも言われ、桁の違う被害が出た暴動でした。

 

 

アメリカの公民権運動を推進した人たち

 

アメリカはその歴史の中で「人種差別を無くす」ことに努力はしてきました。

1950年代から60年代にかけて、法の上での「人種差別」を無くす運動が全米で起こります。

キング牧師やマルコムXなど、多くの人が携わり、歴史と時間がかかった運動です。

 

歴史では、キング牧師とケネディ大統領がその推進者と言われていますし、見られています。

一部は当たっていますが、この「公民権法」を推奨し、議会でも強い発言力を持った大統領は、ケネディ大統領亡き後に就任した、リンドン・ジョンソン大統領でした。

 

彼は就任すると、これまでの上院議員としての長い政治生活、特に院内総務として培った議会への影響力を最大限に働かせました。

ジョンソン大統領は、公民権法の成立に向けて、キング牧師などの公民権運動の指導者らと協議を重ねる傍ら、保守派議員—特に地元選出の議員も多くいた—の反対(「人種差別主義」という意味での)にも、粘り強く議会懐柔策を進めました。

 

公民権運動でキング牧師とリーダーと話すジョンソン大統領。

 

 

LBJ;ケネディの意志を継いだ男

 

近年(現在でもかもしれません)、ジョンソン大統領の評価は低いのではないでしょうか?

「ベトナム戦争」を泥沼に引きづりこんだ大統領とか。

また、ケネディ大統領時代は副大統領でしたが、「キューバ危機」でもその発言力で何かが決まった、という話は出てきていません。

主役はケネディ大統領であり、ロバート・ケネディ司法長官、ケネス・オドネル大統領補佐官、ロバート・マクナマラ国防長官です。

キューバ危機を描いた映画『13Days』でもほとんど出てきません。

 

映画「13Days」
キューバ危機を乗り切った者たちを描いた名作。

 

彼の地元:テキサス州ヒューストンに「ジョンソン宇宙センター」があるのは、まさに彼の政治力(NASAのトップ)に他なりません。

 

しかし、映画『ライト・スタッフ』でも、宇宙飛行士;ジョン・グレンに「出発前に妻君と会談させろ」と無理やり電話させ、断られているという笑いのネタとしか描かれていませんでした。

 

映画「ライトスタッフ」
マーキュリー計画を描いた秀作。

 

2018年に公開された映画『LBJ  ケネディの意志を継いだ男』(監督;ロブ・ライナー)は、公民権法に尽力したジョンソンその人を描いている佳作であると思います。

ロバート・ケネディとの確執も、うまく描かれていると思います。

多くの大統領、指導者には失敗も成功も、また、「光と影」があるものです。

 

映画「LBJ:ケネディの意志を継いだ男」
ウディ・ハレルソンのが演技が映える佳作。

 

「LBJ」とは、Lyndon Baines Johnsonの頭文字です。

ケネディ大統領は「JFK」と誰でもが覚えているか、聞いたことがあると思います。

映画の中でも、ジョンソン大統領(ウディ・ハレルソン)は国民から愛称としてそう呼ばれたいらしいぞ、とケネディ大統領の側近が笑い飛ばすシーンがあります。

多くの人はこの映画で「そうなのか」と思ったかもしれません。

 

 

多くの差別が人類に残っている現在、我々のすべきことはまだまだあります。

自宅で多くを過ごす時間、この映画を見て、現在のアメリカを少しでも良い方向にしようとした人たちがいたのだ、と強く感じた時間でした。

 

映画「オールザウェイ」。
「エミー賞受賞のブライアン・クラストンがジョンソン大統領を演じたHBO Filmsの力作です。
「LBJ」で描ききれなかった議会工作や苦悩、キング牧師やフーバーFBI長官とのことが細かく描かれています。
両作品を見ることを勧めます。

 

よろしければご覧ください。

 

今回はここまで。また、お会いしましょう!!

 

アルゼンチン共和国と日本の知られざる接点ー日本海海戦

みなさん、こんにちは!

木下馨です。

 

今から115年前の5月27日〜28日、日露戦争の運命を決めた大海戦が、対馬沖で行われました。

 

ロシア;バルチック艦隊を完膚なきまでに打ち破った、東郷平八郎司令長官指揮する連合艦隊の活躍は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」や、いくつもの映画にもなり、記憶にある方々も多いことでしょう。

 

※ バルチック艦隊の司令官は、ロジェストヴェンスキー中将。日本は、21隻撃沈、6隻拿捕。味方の損害は水雷艇3隻のみ。

 

東郷平八郎大将

 

 

今回の「Kinopedia」は、その勝利にアルゼンチンという国が関わっている、ということを語りたいと思います。

皆さんはその歴史をご存知でしょうか。

 

日本とアルゼンチンが国交を結んだのは、1898年(明治31年)、日亜友好通商航海条約によってでした。

皆さんは、アルゼンチンというと何を思い出しますか?

マラドーナやバティストゥータのサッカー、音楽が好きな方はアルゼンチン・タンゴでしょうか。

そのアルゼンチンがどう関わっていたか。

 

アルゼンチンの国旗

 

 

20世紀に入り、日露戦争が避けられない状況になったとき、世界最強のロシア艦隊に対抗するには海軍力の増強が焦眉の急でした。

日露開戦の前年、アルゼンチンは当時イタリアに建造発注した、最新鋭装甲巡洋艦「リバダビア」と「モレノ」をほとんど完成させていました。

その二艦を売却しても良いと日本にオファーを出し、日本は直ぐさま交渉し、これに妥結しました。

 

これは、当時の「日英同盟」の同盟国・イギリスの働きもあったと言われています。

また、アルゼンチンが日本に示した好意の背景には、結ばれていた日亜友好通商航海条約や、その翌年に訪日して大歓迎を受けた海軍練習艦「サルミエント」のベトペデル艦長が、海軍大臣になっていたことなどがあったと言われています。

 

二艦は日露開戦の6日後の1904(明治37)年2月16日、国民歓喜の中、横須賀に到着しました。

それぞれ「日進」、「春日」と命名されて、旗艦「三笠」の隷下に入り、日本海海戦では大いに活躍しました。

 

 

「日進」「春日」の同型艦;ジュゼッペ・ガリバルディ級装甲巡洋艦

 

 

観戦武官ドメック・ガルシア大佐

 

前記の装甲巡洋艦「リバダビア」と「モレノ」を、イタリアにおいて日本側に引き渡す際のアルゼンチン側代表は、ドメック・ガルシア海軍大佐です。

大佐はその後、命を受け日本に赴き、日本海海戦において観戦武官として「日進」に乗艦しました。

 

観戦武官とは、「第三国の戦争を観戦するために派遣される武官」のことで、現代では電子戦や航空機の発達などで、1人では戦闘を見ることができないので消滅しています。

日本海海戦の参謀であった秋山真之大尉も、観戦武官として米西戦争時のサンチャゴ海戦を観戦しています。

 

ドメック・ガルシア大佐は観戦後、日本に残り、膨大な報告書を本国に提出しました。

この報告書は80年の歳月を経て海上自衛隊の教育用資料として邦訳され、更に、日亜修好100周年を記念して1998年に、日本アルゼンチン協会から「アルゼンティン海戦武官の記録」として公刊されました。

 

大佐は1932-38年には海軍大臣となり、退役後はアルゼンチン日本文化協会の会長として両国友好に余生を尽くしました。

 

ドメック・ガルシア大佐

 

どうですか?

地球の裏側にある、アルゼンチンという国の印象は少しは変わったでしょうか。

アルゼンチンは親日国の一つでもあり、また文化と教養の国であることもわかります。

ノーベル賞受賞者を5名輩出していますし、「世界の三大劇場」(パリのオペラ座、ミラノのスカラ座、ブエノス・アイレスのテアトロ・コロン)も。

 

ブエノス・アイレスのテアトロ・コロン

 

世界三大劇場であるテアトロ・コロン内部

 

行きたかった国のポーランドは去年訪れました。

アルゼンチンは、世の中が落ち着いたら必ず私も訪れたい国の一つです。

 

本日はここまで。

最後までお読みいただきありがとうございました!