日露戦争から学ぶ現代ビジネスとの対比−前編

みなさん、こんにちは!
木下馨です。

 

本日は、1905年5月27日から28日にかけて行われた、いわゆる「日本海海戦」をはじめとする「日露戦争」を題材に、私なりの視点と、現在の会社経営になぞらえて2回にわたって述べてみたいと思います。

 

 

世界最強の陸軍国、かつ世界2位の海軍国ロシア

 

日露の戦いの趨勢を決めた日本海海戦については、TVシリーズや小説「坂の上の雲」や各映画(古くは『明治天皇と日露大戦争』:新東宝や『日本海大海戦』:東宝など)で、これらの海戦のことはみなさんもご存知の方は多いと思います。

 

事実だけを少し述べますと、東郷平八郎大将率いる日本海軍連合艦隊が(旗艦三笠)通称ロシアバルチック艦隊を対馬沖に迎えました。
味方の損害は水雷艇3隻のみで、対するロシア艦隊は21隻沈没、6隻拿捕、中立国抑留6隻など、日本海軍の一方的な戦いでした。
これを持って、日露の戦いの趨勢が決まったと言っていい海戦でした。

 

ちなみに、ロシアは歴史上、自国の領土に深く攻め込まれた経験が2度あります。
ナポレオンと、第二次大戦時のヒトラーの独ソ戦になります。

 

ナポレオンは首都:モスクワまで攻め込みましたがその後、撤退。
60万人の戦力で攻め込んだナポレオン軍ですが、撤退して国境まで生還できた兵はわずか5千人でした。

ヒトラーは同盟国とともに独ソ戦を展開しましたが、枢軸国側で、1千万人以上の戦死者、ロシア(当時はソビエト連邦:以下ソ連)は2千万人以上の死者を出しますが、最後はソ連が勝利を治めます。

しかしながら、自国の領土に「1歩」も侵攻されないで負けた戦いがこの「日露戦争」でした。
ロシアにとって、今でも歴史から消したい事実ではないでしょうか。

 

当時、人口4千万人で養蚕業が主力の発展途上国が、ロマノフ王朝の晩年期で社会不安もあったとはいえ、人口2億人の大国ロシアに勝ったのですから世界が驚いたのも無理はありません。

 

その勝因を見ていきたいと思います。
現在のビジネスにおいても活用できることはあるかもしれません。

 

 

挙国一致

 

日露戦争のロシアの動機は、朝鮮半島に対する権益の拡大でした。
各国が義和団の乱に軍隊を派遣した際にロシアも軍隊を派遣し、その結果、満洲に対する権益を拡大しました。
そして、さらなる権益拡大のため、朝鮮半島を狙って手を伸ばそうとしました。

 

一方、日本は朝鮮半島を独占することで、ロシアの南下政策を阻止し、日本の安全保障を堅持することを目的としました。
大国相手ですから、世界の応援が必要だったところ、「日英同盟」が大いに役立ちました。

日本は当時の「大英帝国」と同盟を結ぶことで、戦費の調達やアメリカへの影響力を活用できました。

 

政治家も軍人も一般市民も戦争の目的がはっきりとし、一体化したことが精神面として大きかったのではないでしょうか。

 

また、軍人が政治に口を出していなかった時代とも言えましょう。
この戦いの後から「軍閥政治」の匂いがしてきます。

 

 

最新の装備

 

日本の戦いは「精神力」だけで勝て、と言うことがクローズアップされます。
しかし、この戦いはできるだけ最新の装備を持って戦いに挑みました。

 

【火薬】
日本海海戦ではロシア艦隊が従来の「黒色火薬」であったのに対し、日本艦隊は下瀬雅允技師が開発した威力の大きい「下瀬火薬」を使用しました。

【旗艦】
日本艦隊の旗艦三笠は、海軍大国:英国の「ヴィッカース社」製でした。

【機関銃】
映画等では「機関銃」を日本陸軍が知らなかったような描き方が多いですが、実際は「オチキス機関銃」を多用していました。
「奉天の会戦」では、このオチキス機関銃を多数装備し、ロシア陸軍大臣クロパトキンの最強コサック騎兵をようしたロシア陸軍に勝利しています。
※ 奉天の会戦:日露戦争の最後の大規模会戦で、現在の中国、藩陽での陸上戦のこと

 

 

世界から学んだ優秀な人材

 

いくら装備が良好でも、その使用する人たちが優れた人材でなければ宝の持ち腐れになります。
その点、明治政府は世界から学ぶ姿勢がありました。

 

日本は、「普仏戦争」で勝利したドイツ参謀本部の生みの親:モルトケ将軍に陸軍大学の教官の派遣を依頼します。
実は、日本に派遣する教官の候補は2人いました。
1人はメッケル少佐、いまひとりはゴルツ大佐です。
モルトケ将軍はメッケル少佐を日本に、そしてゴルツ大佐をトルコに派遣します。
これも「たら、れば」の話をしても意味はありませんが、児玉源太郎や秋山好古が大いに活躍したことを考えると、モルトケ将軍の采配は日本にとって運命の分かれ目であったと思います。

 

メッケル少佐

 

日本陸軍は、当時の最強陸軍;ドイツから学んだことになります。
メッケル少佐は3年間の日本派遣後、ドイツに戻りました。
ドイツでも多くの識者が日露戦争におけるロシアの勝利を信じていましたが、彼は日本勝利を予想。
その根拠に、このようなことを述べています。

 

「日本陸軍には私が育てた軍人、特に児玉将軍がいる限りロシアに敗れることは無い。児玉将軍は必ず満州からロシアを駆逐するであろう」

 

 

児玉源太郎大将

 

また、海軍は英国から学びました。
日本海海戦で決定的勝利を挙げた東郷平八郎は、イギリスのポーツマスに官費留学して国際法を学びます。

 

横須賀;三笠公園にある東郷平八郎像

 

 

みなさんもお分かりだと思いますが、陸軍大学ではドイツ語を理解し、イギリス留学の東郷は英語を理解しない限り、多くを学べなかったのが当時の状況です。
それも日常会話だけでなく、多くの専門書を読破しないといけません。
なぜなら、現代のような「学習教材」が豊富にあるわけではないからです。
彼らはいわゆる選ばれし、秀才で優秀な人材であったといえます。
日露戦争では、そういう人材が勝利に貢献したことになります。

 

かつてプロ野球:野村克也監督が述べたとされる、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と言う格言がありました。

 

まさに国力からいえば、日本は大勝利を想定できたとは言えないでしょう。
しかしそれでも、「ゴール」を設定して、そこまでなんとしてでもたどり着こう、という戦略と戦術、一致団結があったからこその日本の勝利であったといえます。
それがこの後の太平洋戦争と大きく違うところでしょう。

 

そこから、現代のビジネスで何を学ぶか?
後半に自論を述べてみたいと思います。

 

本日はここまで!
また、お会いしましょう!!

人類によって絶滅を早められた動物シリーズ―リョコウバト編ー

みなさん、こんにちは!
木下馨です。

 

前回は、ステラーカイギュウ、その前はオオウミガラスの話をさせていただきました。

前回はこちら 人類によって絶滅を早められた動物シリーズーステラーカイギュウ編ー

前々回はこちら 人類によって絶滅を早められた動物シリーズー北極ペンギン編ー

 

今回は、最も有名な、そして悲惨なお話しかもしれません。

 

仮のお話をしましょう。
例えば「地球外生命体」のエイリアンが地球を襲い、「人間の味」が舌にあったとしましょう。
そして100年間かけて、人類70億人一人残らず絶滅に追いやった、なんてことが実際に起こったとしたらいかがでしょうか。

 

「そんなこと起こるわけがない」
とまず思うかもしれませんし、起こったとしたらなんて悲劇的なことだろうと思うことでしょう。

 

似たようなことがこの地球で起こりました。
ただし、エイリアンは「人間」で、「舌に合って」しまったのはリョコウバトでした。

 

リョコウバト。スマートなフォルムをした渡鳥でした。

 

 

リョコウバトはかつてアメリカ大陸東岸に棲息していた渡り鳥で、鳥類史上最も棲息数が多いとされた鳥でした。
その数、約50億羽!!
19世紀初頭のその数は、最後の一羽が動物園で亡くなるまで記録されていますが、20世紀初頭には絶滅しました!(一説には、60億とも90億とも言われています)

 

少なく見ても50億羽ですよ!!!
それだけの数のリョコウバトが、地球の歴史からみたらわずか100年の間に、突然のごとく乱獲、食用にされたわけです。
まさに彼らから見れば、人間は「エイリアン」であったことでしょう。

 

絶滅の主たる要因は乱獲といえます。
リョコウバトの肉は非常に美味とされ、17世紀から人口増加している白人入植者にとって、都会でも高く売れるこの鳥は絶好の獲物でありました。
もちろん、先住民族も食用にしていたわけですが、繁殖期には狩を止めるなど、自然に対する敬意と配慮がありました。

 

が、しかし、急速に近代化する白人たちにはその配慮は全く欠けていた、ということでしょう。

 

また当時、技術的な発達、例えば鉄道であるとか、電報などでいち早く情報が伝わり、ハンターや農民、ただ銃を撃って狩をしたい者たちに情報が共有され、乱獲されていきました。
農民は大量の家畜を引き連れてやってきました。
乱獲後の取り残された傷ついた個体や雛、卵などを家畜に食べさせるためです。
その太った家畜も「殺されるために」太らされるわけですが。

 

最後の営巣地はミシガン州のパトスキーで、1878年に約10億羽のリョコウバトが発見され、その全てが人間たちに狩られていきました。
のちに「パトスキーの虐殺」と呼ばれます。

 

有名な鳥類学者であるジェームズ・オーデュボンは、その場面を次のように書き残しています。

 

恐ろしい光景が繰り広げられた。数千羽のハトが、棒を手にした人々によって一瞬のうちにたたき落された。鳥たちは途切れることなくやって来て、いたるところに舞い下り、押し合いへし合いしながら黒山のように木に止まった。その重みに耐えかねて、そこここで木々が凄まじい音をたてながら地面に倒れ、どの枝にもぎっしりと止まっていた鳥を振り落とし、数百羽の鳥たちがその下敷きになって息耐えた。その有様といったら、狼狽と混乱の極みだった。すぐ隣にいる人にさえ、話しかけるどころか、どなってみても、まったく無駄だった。銃声すら聞こえず、火薬の炎を見て、始めて銃が発射されたことが分かるのだった。(中略)ハトは拾いあげられ、山のように積みあげられた。各人が処理できるだけ集めてしまうと、残りはブタを放して食べさせるのだった。

 

リョコウバト狩猟の博物画。実際はもっと空を黒く埋め尽くしていたリョコウバトと、それを一心不乱に捕獲するハンターや農民が山のようにいたのかもしれませんね。

 

 

リョコウバトはその数から「無数」に存在していると思われましたが、繁殖力は非常に弱く、また「多くの個体で群れ」を形成しなくては生きていけない個体でした。
繁殖期は年に1度、また一回の産卵数は一個だけでした。
先住民はこの特性を知っていたので、繁殖期には狩をしなかったわけです。

 

白人入植者の増加により、土地開発が進み、リョコウバトの営巣地である森林が急速に減少したことも繁殖に影響しました。

 

1906年にハンターが撃ち落としものを最後に、野生のリョコウバトは姿を消します。
最後はシンシナティの動物園にいた「マーサ」(ジョージ・ワシントンの妻;マーサから名を取りました)のみになります。
そのマーサも老衰のため(彼女は一生オリの中で過ごしました)、1914年9月1日に亡くなりました。

 

マーサは、最後の瞬間まで記録された「絶滅した動物」となりました。

 

最後の一羽となったリョコウバトの「マーサ」

 

 

いかがでしたでしょうか。
人類は地球上の動植物にとって、「エイリアン」にもなれますし、また「救世主」にもなれるかもしれません。
しかしながら、人口は70億を超え、今、食卓に上がっている食物や食肉&魚も、何年か経過すると乱獲や自然破壊で食べられなくなっているかもしれません。
また、昆虫や今まで口にしなかったものを、食べなくてはいけない事態になるかもしれません。

 

自然からの強烈な「しっぺ返し」の前に、我々一人一人が気づきの行動に結び付けたいものです。

 

本日はここまで!!

 

また、お会いしましょう!!