2021年を占う?!〜歴史は繰り返す60年サイクルからの考察〜

皆様!あけましておめでとうございます。
木下馨です。

 

2021年も幕を開けましたが、皆様はどのようにお過ごしでしょうか。
おそらく私もそうですが、人生で初めての経験をしている正月を迎えておいでになるのではないでしょうか?

 

本年もKinoPediaで皆様の「そんなことが!」「そうだったのか」的なお話ができれば幸いです。

 

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

さて、2021年はどんな年になるでしょうか?
巷にも多くの占いや予想が出ていますので、皆様の方が詳しいかもしれません。

 

ここでは、過去を振り返りながら、本年がどんな年になるか考察したいと思います。

 

干支(えと)的には、本年は辛丑(かのとうし)となり、ある占いによると、
『個々人の努力や自己管理、忍耐が必要な年にはなるが、多くの人の結びつきが期待出来、全体的にまとまりのある年』
になるとのことです。

 

この干支は「60年に一度」巡ってくるそうですので、60年前、つまり、1961年に上記のようなことがあったのか見ていきたいと思います。

 

この年の世界的で大きな事柄として二つ。
<ピッグス湾事件>
在米亡命キューバ人部隊がアメリカのCIAの支援の下、グアテマラで軍事訓練の後、キューバに侵攻してカストロ革命政権の打倒を試みた事件が起きました。

 

アメリカ軍によって訓練中の亡命キューバ人部隊

 

 

<ベルリンの境界封鎖>
この年、東西に分断されていたドイツでは東西ベルリンの境界を封鎖しました。これが、後に境界線上に壁(いわゆるベルリンの壁)を建設するに至ったのです。

 

 

アメリカとソビエト連邦の東西冷戦によって、世界は「戦争」になるのを避けるべく確かに「忍耐」が必要な年でありました。

 

また、イスラエルでは「アイヒマン裁判」も行われ、世界の注目を浴びました。
※ アドルフ・アイヒマン裁判:ナチスドイツでユダヤ人問題の最終解決(ホロコースト)に関与し、数百万人におよぶ強制収容所への移送に指揮的役割を担ったアイヒマンの裁判

 

裁判中のアドルフ・アイヒマン

 

しかしながら「期待」を持てる年でもありました。
この年、就任したアメリカ合衆国第35代大統領:ジョン・F・ケネディは就任演説を行いました。
その演説で最も有名な部分において、米国民に対し、自己利益を超えて自分の国のために働くよう促し、

「あなたの国があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」と述べました。

 

そしていかなる困難があっても、世界の人々が自らの人生を切り拓けるように、強者が覇者となるだけでなく、共に手を組んで世界の発展のために寄与できるよう取り組もうと訴えました。

 

しかし、その道のりは長く、最初の100日間はおろか1000日間でも、我々が生きている間にも達成されないだろうと説きましたが、その最後の締めくくりとして、

「But let us begin.(だが、とにかく始めようではないか)」と訴えました。

 

アメリカ国民が1つに団結し、未来に希望を持ち、まとまった瞬間ではなかったでしょうか。

 

就任式でのジョン・F・ケネデ

 

 

彼が語った「天体の探査」は、まずソ連のユーリィ・ガガーリンがボストーク1号に乗って世界で初めて有人宇宙飛行を成功し、その約1ヶ月後、アメリカの宇宙飛行士:アラン・シェパードが有人飛行を成功させます。

 

激動の中にも「希望や一体化」を持てた年でもあったことでしょう。

 

その60年前の1901年(明治34年)には、何があったのでしょうか?
日本では、やはり激動の年と言えるのではないでしょうか。

 

世界的には中国(当時は清国)で起きた「北清事変」(義和団の乱:「扶清滅洋」を叫ぶ秘密結社義和団による排外運動)によって、北京議定書が締結。
中国や遼東半島における欧米列強の野望が強まる中、日本は対外的には「日英同盟」の推進を進めました。
その一方で、ロシアとの交渉では、日露協商交渉が打ち切りになるなど、国際情勢は複雑な様相でした。

 

義和団兵

 

 

こうみると60年ごと、大国の野望が常にあり、その一方で団結を促す事項で希望を持つという図式があるようです。

翻って、本年はどうでしょうか。

大国の野望は、我が国近郊や近海にも垣間見られます。
また、世界的パンデミックで希望がまだまだ持てない状況が続きますが、その中でそれを超えて、一体化、団結する要因は、もしかしたら東京でのオリンピックかもしれませんね。

 

皆様にとって本年はどんな年にしたいでしょうか?
どんな時代でも、しっかり目標を持ってお互い、素晴らしい年にしたいものです。

 

共に「より良き未来」に向かって進んで参りたいと思います!

 

今回はここまで。

また、お会いしましょう!!!

「ケネディ家の呪い」はいまも続く??

皆様こんにちは!
木下馨です。

 

今回のKinopediaは、「大統領の呪い」の3回目として、有名な「ケネディ家の呪い」についてみてみましょう。

シリーズ1回目はこちら
アメリカ大統領選にまつわるジンクス

シリーズ2回目はこちら
アメリカ大統領に関わる100年の呪い!?

 

このブログを書いている11月22日は、奇しくも1963年、アメリカ;テキサス州ダラスでジョン・F ・ケネディ大統領が暗殺された日です。
このケネディ家の呪いは、有名な話ですので、ご存知の方も多いと思いますので、代表的な事例を上げていきましょう。

 

アメリカには、イギリスと違って「貴族」は存在しませんが、いわゆる「大富豪の名家」は存在します。
元々、ケネディ家は、後のケネディ大統領の父である、ジョセフ・パトリック・“ジョー”・ケネディ・シニアが、映画会社のR K O設立の過程や、禁酒法廃止後のジンやスコッチの輸入などの事業で財を成しました。
ジョセフは、第二次大戦時には、イギリスの駐英大使を務めています。

 

彼は妻ローズとの間に、9人の子どもたちに恵まれます。

 

ケネディ家

 

 

しかし、この「ケネディ王朝」にも悲劇が襲いかかり、それは現代でも続く悲劇であり、呪いとも言われているものです。
まずは、9人の子どもたちの生涯を見ていきましょう。

 

長男:ジョセフ・P・ケネディ・ジュニア

彼は海軍のパイロットで第二次大戦に従軍します。
1944年、特殊任務(ドイツ軍のV-1号発射基地を攻撃)の作戦中、対潜哨戒機;PBY4を飛行中、空中爆発を起こして死亡。

 

次男:ジョン・F・ケネディ

アメリカ35代大統領、1963年11月22日ダラスで暗殺される。
今でも多くの謎があり、陰謀説の噂は絶えません。

銃撃直後、ケネディ大統領の車に駆け寄るシークレットサービス。

 

 

長女:ローズマリー・ケネディ

ケネディ家の中で、ローズマリーの話は長い間、タブーとされていました。
彼女はロボトミー手術で廃人となり、生涯、施設で過ごすことになります。
この施設に父;ジョセフは一度も訪れたことがなく、ジョンや後述する弟ロバートとの写真もないそうです。
また、彼女は2005年、86歳で死去していますが、事故や暗殺が多い兄弟姉妹の中で、初めての自然死でした。

※ ロボトミー手術:1936年に開発され、第二次世界大戦後にアメリカで流行した、精神患者への治療法。感情を司る前頭葉を切り離すことで、感情の激しい起伏や暴力性を解消するというもの。副作用として、感情がなくなり、人間らしい生活を送れなくなる。危険性が認識され始めた頃に、抗精神病薬が開発されたことにより、この治療法は廃れた。

 

次女:キャスリーン・アグネス・ケネディ

イギリス貴族と結婚。
夫と死別後、フランスで恋人と共に飛行機事故で死亡。
享年28歳。

 

三女:ユーニス・メアリー・ケネディ

1953年にサージェント・シュライバーと結婚、知的障害者のスペシャル・オリンピックスを創設。
マサチューセッツ州ハイアニスのケープコッド病院で死去。
彼女は88歳まで生き延びました。

 

四女:パトリシア・ケネディ

俳優のピーター・ローフォードと結婚しましたが、1966年離婚。
2006年死去。享年82歳。

 

三男:ロバート・ケネディ

兄のジョン・F・ケネディ政権下に司法長官(1961–1964年)、その後、ニューヨーク州選出上院議員(1965–1968年)を経て、大統領選に出馬。
大統領指名選挙遊説中、サーハン・サーハンによってロサンゼルスで暗殺される。
享年42歳。

ロバート・ケネディの暗殺犯:サーハン・べシャラ・サーハン。

 

五女:ジーン・アン・ケネディ

1993–1998年:在アイルランドアメリカ合衆国大使。
彼女は9人の兄弟姉妹の中で最も長命で、92歳で亡くなりました。

 

四男:エドワード・ケネディ

1962年から死去の2009年まで、マサチューセッツ州選出上院議員を務めましたが、彼も「ケネディ家の呪い」からは逃れられませんでした。
1969年、パーティーで飲酒した後に、エドワード自身が運転する車が桟橋から海に転落。
同乗していたのは不倫相手であるロバートの元選挙スタッフ。
不倫と、自分の飲酒運転(と薬物使用)というダブルのスキャンダルを恐れ、不倫相手を救助すらせず、また、警察にも通報せずに現場から逃亡。
その後、同乗していた不倫相手が死亡するという「チャパキディック事件」を起こしました。
結局、この事件が尾を引き、大統領候補にも副大統領候補にもなりませんでした。
2009年、脳腫瘍のため死去。
享年77歳。

 

左からジョン、ロバート、エドワードの三兄弟。

 

*****

これだけ見てもお分かりのとおり、いわゆる「畳の上で死ぬ」ことができない方々が多いわけですが、その「悲劇」は彼らの子孫にも及びます。

 

【1973年】には、四男;エドワードの長男エドワード・ケネディ・Jrは当時、若干12歳でしたが、骨肉腫のため右足の一部を切断するという不幸に見舞われています。

 

また、ロバートの子どもたちも悲劇が相次ぎます。
【1984年】に、第4子デイヴィッド・ケネディ(享年28)が、薬物の過剰摂取で急死します。
【1997年】には、第6子で弁護士だったマイケル・ルモアーヌ・ケネディ(享年39)がスキー事故で死亡しました。

 

【1999年】には、ジョンの長男で、将来の大統領候補だと期待されていた弁護士のジョン・F・ケネディ・ジュニア(享年38)が、操縦していた軽飛行機で墜落事故を起こし、同乗していた妻キャロリン(享年33)、義姉と共に死亡します。
ナショナルジオグラフィックのドキュメンタリー番組『メーデー!:航空機事故の真実と真相』でも、ケネディ・ジュニアの操縦の未熟さが事故を引き起こす原因としています。

 

【2011年】には、エドワードの長女でTVプロデューサーとして活躍していたカラ・ケネディ(享年51)が、スポーツクラブで心臓麻痺を起こし急死します。

 

【2012年】には、ロバートの第3子ロバート・F・ケネディJrから離婚を求められていた妻メアリー・リチャードソン・ケネディ(享年52)が、アルコール依存と薬物乱用に苦しんだ末に自殺。

 

【2019年】には、ロバートの孫シアーシャ・ケネディ・ヒルが、薬物の過剰摂取により22歳の若さで急死しました。

 

ジョンとロバート。そして22歳の若さで、薬物摂取で死亡したロバートの孫;シアーシャ・ケネディ・ヒル。

 

いかがでしょうか?
かなり平均寿命より前に「普通じゃない死に方」をしている人たちが多いと思いますが、いかがでしょう。

 

「アメリカのロイヤルファミリー」として注目を浴びるので、少しでも「不慮の死に方」をすると「呪い」と言われてしまうのかもしれませんが、皆さんはどのように思うでしょうか。

 

前駐日大使であったキャロライン・ケネディは、ジョン・F・ケネディ元大統領の長女であることは有名ですが、現在63歳。
個人的には、彼女にはこれからも「呪い」を跳ね除けて、今後の人生も各方面で活躍していただくことを祈念しています。

 

本日はここまで!

また、お会いしましょう!!