こんにちは、木下馨です。
本日もお読みいただきありがとうございます。
しばらく歴史物のKinopediaが多かったのですが、今回はガラリと視点を変えてお話できればと思います。
いわゆる「夏の甲子園」高校野球が今年は中止され、夏の風物詩がなくなって寂しい思いをされてる方も多いことでしょう。
そこで、今回と次回は、私、木下が選ぶ「甲子園左腕ベスト3」を平成、昭和で上げていこうと思います。
ここは熱狂的なファンも多いテーマですが、あくまで木下の主観でお話をさせていただきます。
違う評価をされる方を否定する訳ではありませんので、よろしくお願いいたします。
また、その後の大学、社会人、プロでの活躍は考慮に入れずに、甲子園での活躍をメインでお話させていただきます。
なぜ、左腕か?
そもそも左腕が少ないことが一つと、好投手が多いことが挙げられます。
日本プロ野球でも左腕の好投手は多いのですが、完全試合達成者15人の中で、左腕投手は金田正一投手(国鉄〜巨人)しかいません。
私の贔屓な球団;中日ドラゴンズでも「20勝」した左腕は、1974年の松本幸行投手以来出ていません。
しかし、好投手&印象に残る左腕なら山本昌(日大藤沢高校)、今中慎二(大阪桐蔭高校)、野口茂樹(丹原高校)各投手が挙げられるでしょう。
では、今回は平成での夏の甲子園大会;木下が選ぶ「左腕ベスト3」を挙げていきます。
1人目:松井裕樹投手(桐光学園高校)
2012年夏の対今治西戦で、甲子園9イニング最多22奪三振を記録しました。
これは、1963年春の選抜で、戸田善紀投手(PL学園)が記録した21奪三振を上回る記録です。
また、小川正太郎投手(和歌山中:8度の甲子園出場。甲子園通算12勝)の8連続を上回る、大会新10連続奪三振を記録しました。
大会68奪三振は、辻内崇伸投手(大阪桐蔭高校)を抜く甲子園左腕歴代1位です。
ちなみに光星学院戦で大会史上初となる3試合目の毎回奪三振を達成しました。
(夏の甲子園で大会奪三振記録は板東英二投手(徳島商高校)の83奪三振)
2人目:辻内崇伸投手(大阪桐蔭高校)
2005年夏に記録した大会65奪三振は、楠本保投手(明石中:昭和初期の大投手。夏の甲子園大会史上初の全員奪三振など)を抜く、当時の甲子園左腕歴代1位を記録しました(現在は、前述の松井裕樹投手の68が最多)。
対藤代戦で大会タイ(当時)の19奪三振を記録。
大会2度の全員奪三振は、前述の小川正太郎投手(和歌山中)以来2人目です。
左腕投手として、当時の最速153kmをマークしました。
3人目:島袋洋奨投手(興南高校)
2010年に沖縄県勢初となる夏の全国制覇で、史上6校目の春夏連覇を達成した興南高校のエース左腕です。
この12年前に春夏連覇を達成した松坂大輔投手(横浜高校)以来となる、破竹の甲子園11連勝を記録しました(通算歴代6位)。
(通算最多甲子園勝利数は、1983年夏から1985年夏までの、5大会通算20勝をあげた桑田真澄投手:PL学園)
投げ方が特徴的であり、(劇画;星飛雄馬バリの)トルネード投法で積み重ねた甲子園年間奪三振記録は、左腕投手の歴代最多記録となりました(2010年の春の選抜と、夏の大会102奪三振:春に49、夏に53奪三振)。
(年間奪三振記録は1932年の楠本保投手;明石中の113奪三振:春49、夏64奪三振)
次点:菊池雄星投手(葉巻東高校)
2009年春の選抜準優勝投手。
同年夏の選手権でも4強入りし、東北高校との3回戦で左腕投手として甲子園最速の154kmをマークしました。
彼のチーム愛の涙は印象に残ってますね。
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いかがでしたでしょうか?
皆様の記憶にも残っている投手は他にもおいでになるでしょうか。
今回は「左腕」に絞りましたが夏の甲子園は、各ポジションごとや常連校、伝統校の話などたくさんの切り口で話ができ、話題がつきないですね。
本年、甲子園に出られるはずだったのに出れなかった高校球児(出場したい夢を叶えたかった高校生やそれを応援している全員)には、ありきたりで申し訳無いですが、腐ることなく、前を向いて残りの高校生活を送ってほしいと強く思います。
改めて、全ての高校生にエールを送りたいと思います。
本日はここまで。
ありがとうございます。
また、お会いしましょう!!!